<2年越しの春へ・県岐阜商>/上 先輩の無念晴らす 実戦形式でチームまとまり コロナで練習減 各自工夫凝らす /岐阜
2年連続30回目のセンバツ選出が決まった県岐阜商(岐阜市則武新屋敷)。昨春もセンバツに選出されていたが、新型コロナウイルス感染防止のため大会が中止になり、2年越しの春となる。センバツ出場がかなわなかった先輩への思いと、甲子園でプレーできることへの感謝を胸に、日本一を目指す県岐阜商の挑戦に迫る。【熊谷佐和子】 昨年のセンバツ中止を知ったのは、可児市の球場で練習を終えて学校に戻るバスの車中だった。「さすがにセンバツは中止にならないだろう」(当時の3年生)と皆が思っていた。予想外の事態に「なぜ」と悔しがる3年生の様子を、今の主将、高木翔斗選手(2年)ら県岐阜商ナインは忘れられない。 昨春から夏にかけ、チームはコロナに振り回され続けた。感染防止のため、部活動は3月12日~6月14日まで3カ月間の休止を余儀なくされた。夏の甲子園の中止も決まり、7月15日には校内で感染者が確認された。感染したのは部員ではなかったが、学校は臨時休校となり、約2週間後の県独自大会出場は辞退した。梅村豪選手(2年)は「辞退は仕方がないが、心のどこかで悔しい思いがあった」と、当時の複雑な心境を思い出す。 3年生の無念を晴らそうと、残されたメンバーは21年のセンバツ出場に向けて秋季大会の練習に取り組んだ。8、9月の秋季県大会では、準決勝の中京を5―4、決勝戦の大垣商を3―2と、それぞれ1点差の接戦を制し優勝したが、ポジション間での連係が取れず、守備でのミスが目立った。決勝戦を終えた直後、鍛治舎巧監督(69)は選手たちを集めて「情けない試合だった」と一喝した。 東海地区大会までの1カ月間は、アウトカウントや走者の想定を変えながら行う実戦形式の練習を中心に取り組み、他校との練習試合を増やした。実戦形式の練習を重ね、レギュラーの守備位置や打順が固まり、チームにまとまりができた。10、11月の東海地区大会では準決勝まで危なげなく快勝。決勝の中京大中京(愛知)戦に6―7で惜敗したが、この大会の成績が評価され、1月29日、正式にセンバツへの切符をつかんだ。 今も新型コロナの影響は続く。県が国の緊急事態宣言の対象地域となった1月14日以降、県立高は平日の練習時間を短縮するように求められ、県岐阜商では普段より1時間早い午後7時半までに終えるようになった。選手たちは「(練習量が減る)言い訳にはならない」と口をそろえる。中軸の梅村選手は下校後に関市内のバッティングセンターで打撃練習やウエートトレーニングをした。遊撃手の湊将悟選手(2年)は自宅のブロック塀を使って捕球練習をするなど、各自が工夫を凝らした。 初戦は22日、市和歌山(和歌山)と戦うことが決まった。野球ファンは公立校同士の好カードと注目している。開幕まで1カ月を切り、選手たちは「まずは目の前の試合に勝とう」と決意を新たに、練習に励む。