スカイラインGT-Rで成功した男(1) カーマニアと日産との出会い いしずえ築いたR32型
モータースポーツの血が流れる、生粋のカーマニア
英国で日産のワークス・ドライバーを務めた、アンディ・ミドルハースト氏。だが、それだけではない。開発技術者としても、ディーラーの経営者としても、スカイラインGT-Rへ深く関わってきた人物だ。 【写真】辛口のクラークソンも絶賛 日産スカイライン GT-R R35型イタルデザインと初代も (110枚) GT-Rに関して、彼の右に出る英国人は存在しないだろう。彼の熱意がなければ、R33型とR34型のスカイラインGT-Rは、グレートブリテン島の土地を正規に踏むことはなかった可能性が高い。 古いGT-R人気は、留まるところを知らない。最もお手頃なR32型でも、英国では3万ポンド(約576万円)はくだらない。状態の良いR34型なら、10万ポンド(約1920万円)を準備しても入手は難しい。 R35型GT-Rは、欧州での販売が2022年に中止された。それでも、クラシックとして歴代モデルが世界的な評価を高める今こそ、グレートブリテン島中西部、マージーサイド州にあるミドルハースト日産を訪れるべきタイミングだろう。 スカイラインのクーペがズラリと並ぶ駐車場で待っていた彼は、快く様々な話を聞かせてくれた。モータースポーツの血が流れる、生粋のカーマニアなことは間違いない。 曽祖父と祖父は、1930年代からバイクレースへ夢中だったらしい。父親も、乗用車をベースにしたナショナル・サルーンカー・チャンピオンシップへ出場。オースチンA40やオリジナルのミニ・クーパーSで、伝説のジム・クラーク氏と速さを競ったとか。
彼のいしずえを築いたR32型GT-R
戦後直後まで、家業はスクラップヤードの運営だった。しかし1950年代には、Jミドルハースト&サンズとしてディーラーを創業。当初はオースチンとライレー、ルノーを販売していたが、1978年にダットサン、現在の日産へブランドをチェンジした。 その店舗は、マージーサイド州のジャクソン・ストリートに位置し、アンディは1980年に18歳で入社。下積み時代はサービス部門とパーツ部門で過ごし、モータースポーツ・キャリアを徐々に積み上げていった。 彼のオフィスには、棚いっぱいに歴代のトロフィーが並ぶ。壁には、GT-Rでサーキットを攻める様子の写真が、額装されて飾られている。 ワークショップでは、ジュークとマイクラが整備を受けていた。反対側には、1995年からサルーンカー・チャンピオンシップで2度の優勝を掴んだ、R32型GT-Rのレーシングカーが停まっている。美しくレストアされて。 その後も2度の優勝を掴んでいるが、このR32型が、彼のいしずえを築いたといっていい。ただし、決して平坦な道のりではなかった。 「初めは、フォーミュラ・フォードに参戦していました。10代の頃は、アイルトン・セナと対決もしたんですよ」。61歳になったアンディが、ほほ笑みながら振り返る。 「1982年にスター・オブ・トゥモロー・チャンピオンシップで優勝。F1を目指していましたが、F3を戦う予算すらありませんでした。諦めて転向したのが、フォード・エスコート RS2000でのラリーです」