勝てなすぎた西武に“絶望”「ちょっと不安」 5回を終えたら帰る観客、厳しかった船出
西武ライオンズ1年目の1979年は前期6位、後期5位…開幕から12連敗を喫した
新生ライオンズに記念すべき勝利をもたらした。弟の雅之氏と一緒にプロ入りし、「兄やん」の愛称で親しまれた野球評論家の松沼博久氏は、アンダースローの先発として西武一筋で112勝をマークした。「プロで勝つってこういうことか、と感激しました」。自身も西武ライオンズも“ルーキー”だった1979年シーズンを振り返った。 【写真】西武若手の“彼女”が「美人すぎ」 恋人繋ぎで登場に大注目「可愛い」 クラウンライターから西武となったライオンズは第2次キャンプ、オープン戦と50日間以上に渡る米国滞在を終えて4月3日に帰国。突貫工事が完了した埼玉・所沢の真新しい本拠地、西武球場(現ベルーナドーム)での初練習は翌日の4日だった。国内チームとの対外試合は1度もできないまま、慌ただしく公式戦に突入した。 「僕は新人なので、チームの状況はよく分からなかった。とりあえず開幕1軍に抜擢されてて、自分の最初の登板日は聞いていました。でもキャンプでサインプレーとかを、あまりやってなかったので、その辺はちょっと不安でしたね」。松沼氏の「ちょっと不安」は「あそこまで負けるとは思わなかった」の現実になっていく。 4月7日にセ・パ両リーグが開幕した。西武は敵地・日生球場での近鉄戦。エース東尾修投手が完投、打線は8安打を放つもつながらず0-3で敗れた。「負けましたけど、東尾さんが力投してチームとしては割といい内容だったと思いました」。 4月12日。相手の阪急の持ちゲームながらライオンズは前年までの本拠地・福岡の平和台球場に“里帰り”。松沼氏は先発でプロ初登板した。「僕も結構打たれました」と言うものの5回4失点。8三振を奪った。だが、チームは結局0-11と惨敗し、5連敗となった。 2日後の14日、西武球場はこけら落としの一戦。福田赳夫元首相が始球式を行い、観衆2万8000人とほぼ満員の中、日本ハムと対した。7失策の守乱で1-7の完敗。以降も2引き分けを挟んで開幕からの連敗は12までのびてしまった。「ベンチの雰囲気はあまり変わらなかったんですが。連敗中はエラーが本当に多かった。キャンプで細かい練習ができなかったので、間に合わなかった」。