勝てなすぎた西武に“絶望”「ちょっと不安」 5回を終えたら帰る観客、厳しかった船出
野村克也に学んだ配球…シーズン45勝中、16勝を挙げて新人王
開幕15試合目の4月24日。新生「西武ライオンズ」待望の初白星は、松沼氏の手によってもたらされた。南海打線を8回2失点に抑えた。最後は変則サウスポーの永射保投手が締めて4-2。ホーム球場の右翼上空には花火が打ち上がり、選手たちは勝った時だけ登場できるバックネット裏から観客席中央を通る階段を歩いた。 「本拠地でしたから、ライオンズのファンが多かった。勝った瞬間『ワー、バンザーイ』みたいな凄い大喜びをしてくれた。今でも覚えていますよ。プロで勝つってこういうことか、と感激しました。それまでは西武球場でも『どうせ負けるんだろう』と5回を過ぎたら、諦めて帰るお客さんが沢山いました。それが試合の最後までいてくれました」 西武は前期6位、後期5位でシーズン通じては45勝73敗12分けに終わった。西武にとって甘くはなかった初年度。その中で松沼氏は16勝で新人王に輝き、希望の光を灯した。社会人野球出身の即戦力として入団し、「自分では『俺はプロでもできるよな』って気持ちはありました」と述懐する。同時に「他の投手の時はエラーは出るわ、打てないわというチームでした。でも僕の時だけ何故か良い思いをさせて貰いました」とナインに感謝する。 松沼氏は、当時44歳の野村克也捕手(元南海、ヤクルト、阪神、楽天監督)とバッテリーを組んだ経験が忘れられないという。「野村さんは穏やかな方なんですよ。試合中もそんなにピリピリしていない。ストライクゾーンを大きく使う、ボール球の使い方が一番勉強になりました。必ず相手打者が振ってくるようなデータがあれば、ボール球のサインを出してくる。フルカウントでも。それで本当に振ってくるのです」。 西武ライオンズ&松沼氏の初勝利のウイニングボールは、東京ドーム内にある野球殿堂博物館に展示されている。「自分では初勝利の意識なんか全然ないんだけどね。解説のラジオ中継で初勝利の時の話をしていたら、聴いていた博物館の人から『貸して頂けますか』って事になって。『いいよ、別に俺、飾ってるわけじゃないし。探せば出てくるよ』と答えたんです」。 「探せば」とは? 「最初の頃は初勝利のボールから2勝目、3勝目……10勝目とか書いていました。途中からは節目だけにして。100勝目とかは取ってあるはずだけど」。通算112勝だが、「手元に何個ボールあるんだろうねぇ。全部紙袋に放り込んでいました。そこから1勝目も探し出したんですよ」。アバウトな構えの捕手が好きな松沼氏は、実におおらかな投手なのだった。
西村大輔 / Taisuke Nishimura