カスハラがなくならない根本的な理由、暴力的な相手でも“顧客”と見なし続ける“職場”も加害者と言えるのでは?
■ 「代金さえ払ってくれれば…」というスタンス 顧客側の言動を基準にカスハラに該当するかどうかを判断するのは一つの方法だとは思いますが、程度や価値観の違いなどさまざまなパラメーターがあるだけに、職場ごとの判断に大きなムラが出てしまう余地が残ります。 しかしながら、視点を変えると違う景色も見えてきます。顧客の言動を基準にカスハラか否かを判断するのは、顧客が加害者であるという前提があるからに他なりません。でも、そもそも相手は本当に“顧客”なのでしょうか。 もし、代金を払う者はみな顧客なのであれば、土下座を強要しようが暴力を振るおうが、代金さえ払えば相手を顧客と見なしていることになります。しかし、代金はいらないから、そんな相手とは取引したくないと考える職場はたくさんあるはずです。一方で、土下座も厭わず「お金さえ払ってくれるなら」と許容して顧客と見なす職場もあります。 厚生労働省のガイドラインにあった「店内で大きな声をあげて秩序を乱す」という顧客の振る舞いに対し、従業員に非があっても大きな声を上げる者は一切顧客と見なさない、というスタンスの職場は従業員を脅威から遠ざける一方、顧客側は息苦しく感じそうです。 逆に、大声で罵声を浴びせる相手であっても顧客と見なし続けるというスタンスの職場なら、心身が傷ついても従業員に耐えさせる一方で、顧客側は気楽かもしれません。取引の間口の広さを最優先する職場であれば、後者のスタンスを選ぶでしょう。 つまり、カスハラには「大声、暴言で執拗にオペレーターを責め」たり「店内で大きな声をあげて秩序を乱し」たり、「大声での恫喝、罵声、暴言の繰り返し」をするような者を職場が顧客と見なし続けているから起きている、という側面があるということです。
■ カスハラという言葉の陰に潜む「会社通念の罪」の重さ 東京都の「カスタマーハラスメント防止対策に関する検討部会」に提出された資料には、ルールを通じて目指す社会の姿として以下のように記されています。 〈働く人と顧客等とが個人として対等の立場に立ち、相手の立場を相互に尊重し合う〉 この言葉からさらに一歩踏み込むと、以下のように表現できるのではないでしょうか。 「働く人と個人として対等の立場に立ち、相手の立場を相互に尊重し合う者でなければ顧客等とは見なさない」 「顧客の方が立場が上」とか「従業員のことは尊重しない」といったスタンスを持ち、ハラスメントを起こすような相手を顧客と見なさないようにすれば、カスハラという言葉自体が成立しなくなります。その相手は顧客(カスタマー)ではないため、自己矛盾した言葉になるからです。 逆に言えば、カスハラという言葉が成立している間は、職場がハラスメントを起こした相手であっても顧客と見なし続けているということになります。カスハラをなくすには、ハラスメントするような相手を顧客と見なし続けるのを止めなければなりません。 冒頭で触れた事例のように、東京の住宅設備販売会社は横暴な振る舞いをした取引先(顧客)企業に損害賠償を求める訴訟を起こしました。当然、訴えられた企業は心証を害すと思います。それが分かっていながら訴訟に踏み切ったということは、態度を改めない限り相手を顧客とは見なさないし、今後の取引も期待しないという決意表明とも受けとれます。 訴えた会社側はそれだけ、従業員が休職に追い込まれたり、業務に支障が出るといった被害が起きた事態を重く見たということです。お金さえ払ってくれる相手であれば顧客と見なし、どんな横暴な振る舞いをされても甘んじて受け入れる、というスタンスにNOを突きつけたことになります。 公共交通機関や医療機関であっても、正当な理由があれば顧客を断ることは可能です。宿泊施設も、法律が改正されて迷惑客の宿泊を断れるようになりました。しかし、職場が相手を顧客と見なしている限り、従業員は接客し続けなければなりません。 一方、従業員側が行うスタッフハラスメントがそこまで問題にならないのは、被害を受ける顧客側の意思で取引を止めることができるからです。カスハラの場合は、従業員側に顧客との取引を止める権限がありません。 カスハラの加害者は“顧客”です。しかし、カスハラという言葉が成立している陰には、職場が「お金さえ払ってくれるなら」とハラスメントを許容し、顧客と見なし続ける会社通念の罪が潜んでいることがあります。そのような場合、“職場”もカスハラの加害者だと言えるのではないでしょうか。
川上 敬太郎