近代建築の父コルビュジエを嫉妬させた、女性建築家アイリーン・グレイの才能
――本作はどの程度、史実に基づいて描かれているのでしょう? ゴフ:映画ですので、ある程度、誇張した演出やフィクションもあります。でもメアリー・マクガキアン監督は、アイルランドの国立博物館にある彼女の個人的な手紙まで読み込んで本作の脚本を書いています。かなり正確に捉え、いい感じで実現できたんじゃないかと思います。グレイはかなりきつい冗談をいう……険悪なユーモアを好む人だったようです。また完璧主義なあまり一緒にいるのがちょっと難しい人でもあったようで、その部分は映画でも描かれていますが、きついユーモアのほうはあまり描写されていないですね。でも、マクガキアン監督は実際にグレイに会った方に話を聞いたり、あまり残っていませんが彼女の書いたものを丹念に探して、彼女の本質に迫ろうとした感じはよく出ていると思います。
よくあるアーティスト×アーティストの関係と珍しい批評家×アーティストの関係
――本作は、ル・コルビュジエ(ヴァンサン・ペレーズ)とグレイ(オーラ・ブラディ)、ジャン・バドヴィッチ(フランシスコ・シャンナ)とグレイの2組の話を核とし、物語を進めていきます。一方は、アーティスト同士、一方は評論家とアーティストという関係。アーティスト同士の物語はよくありますが、評論家とアーティストという関係には新しさを感じました。ゴフさんはアーティストにとっての批評家、研究者を、どんな存在としてとらえていらっしゃいますか? ゴフ:批評家とアーティストは、二項対立的な関係だと思います。批評家はアーティストが感じているインスピレーションを感じ取って、それを助ける、あるいは助長する、あるいは刺激する役目を果たしていると思います。しかし、アーティストによっては全く批評家と関わりたくない人もいます。でもグレイは前者。批評と真摯に向き合った人でした。E.1027にモンテカルロ・ソファの置かれた居間がありますが、フランスの批評家はそれを「カリガリ博士の部屋みたいで大嫌いだ」と書き、オランダの批評家は「新造形主義のデ・ステイルを踏襲しており、大好きだ」と褒めています。グレイは、それらの批評記事をすべてキープしていました。彼女は批評を真摯に受け止め、より良くなるように努力をした人だと思います。そういう意味でのバドヴィッチとの関係は良好だったと思います。建築家としてのバドヴィッチは、グレイを上回る作品を残せませんでしたが、批評家としては彼女より優れていたと思います。 ――バドヴィッチが監修していた建築雑誌『ラルシテクチュール・ヴィヴァント(生きている建築)』を二人で編集するシーンは、夢のように魅力的に描かれていますね。 ゴフ 映画の中で語られるE.1027についての言葉は、『ラルシテクチュール~』の1929年冬号から取られています。この号は一冊丸々E.1027の特集となっています。この雑誌は10年間発行されましたが、一軒の家だけを特集したのはこの号だけでした。この号の冒頭には二人の会話が掲載されています。そこには彼女のデザインや建築に対する考えがいろいろ綴られています。彼女は「反マニフェスト主義」だと言っていますが、これはコルビュジエの逆。コルビュジエは「現代建築の5原則」然り、マニフェストしていますよね。一方、彼女は呪われるからマニフェストは嫌だと言っています。実際、この号に掲載された「E.1027は、これからいろいろなものが作られるモデルである」という彼女の言葉はその後のグレイについてまわります。ル・コルビュジエはその言葉を文字通りに受け取り、E.1027の壁に画を描くわけです。