近代建築の父コルビュジエを嫉妬させた、女性建築家アイリーン・グレイの才能
グレイの揺るがない自身の源になったものとは?
――グレイの才能は、コルビュジエを嫉妬させ、バドヴィッチを諦観させるわけですが、彼女はなにを根拠に揺らがない自信を持つことが出来たのでしょう? ゴフ:皮肉ですが、彼女の強さは自信がなかったからこそのものだと思います。多分、自分が作ったどの作品にも満足していなかったでしょう。でもよい作品を作りたいという情熱はあり、自分が満足するものを目指し、次々に手掛けていったんだと思います。E.1027は、初めて彼女自身で完成させた独立した作品。彼女の中では、恋人のための家以上の存在だったと思います。どの家具も、住む人のスタイルやディテールにものすごく気をかけて作った。多分、自分の子どものように思っていたのではないでしょうか。でも周囲はそれを理解しなかった。所有者であるバドヴィッチは、彼女の家(=子ども)を守るべきだったのに、コルビュジエに壁画を描かせてしまう。そしてグレイは、テンペ・ア・パイアを作り、最後は終の棲家ルゥ・ペルーを作ります。彼女は死ぬまでプロジェクトに関わって仕事をしました。彼女は自分が満足できないからこそ、最後まで努力し続けたんだと思います。 晩年、グレイはこれまで自分がやってきたことの出発点に戻ります。1971、72年は漆の作品を作ります。実際には監修という形での制作ですが、それらを見ると彼女が一生をかけて一つの円を完結させたことが分かります。
グレイの大切にしたもの 明らかになったE.1027という作品名の意味
――コルビュジエやバドヴィッチが、建築という男性主体のコミュニティの、グレイの知らない内輪話をしていても、彼女はそこに入っていくことなく、むしろ少し離れて自ら構築した美しい世界にこもってしまう。それが彼らにはかえって妬ましく感じられたのかもしれませんね。 ゴフ:監督のメアリー・マクガキアンは、建築家の面より、内面に迫りたかったんだと思います。彼らが何を感じていたのか、それぞれが自分の仕事に対してどんなふうに情熱を持っていたのか。そしてアイリーンのいう、フォルムの美しさではなく、そこにどんな人が住むのかが問題なのだということを監督は描きたかったんだと思います。それはル・コルビュジエを否定することではありません。むしろ大ファンの方にこそ、この映画を見てもらえればと思います。彼にも欠点があること、そして嫉妬なのかどうか分かりませんが、なにかに駆り立てられてより良い作品を作ろうとするところも描かれています。