妻の名を忘れ歩行困難「62歳の夫が若年性認知症」に、家族が支える葛藤の6年間
超高齢社会の日本。その急速な進展とともに認知症の人の数も増加しており、80代の2人に1人は認知症になるといわれている。しかし、これは高齢者だけの病ではない。 【写真】若年性認知症を発症した塚本さん、夫婦ふたりで出かけた「最後の旅行」 65歳未満で発症する認知症は「若年性認知症」と呼ばれ、日本では推計3万人以上いるといわれている。その当事者の一人が、富山県に暮らす塚本彰さん(68)だ。
テレビのリモコンが操作できない
理学療法士だった彰さんは、富山県理学療法士会の会長を務め、県内ではその道の草分け的存在として知られていた。 60歳で定年退職したあとも「人のためになる仕事を」と、新たにデイサービスの立ち上げに携わる。まさにこれから第二の人生が始まるというときだった。 2018年1月、62歳の彰さんの言動に、変化が現れ始める。当時の様子を妻の沙代子さんはこう振り返る。 「最初はなんだかいつもと違うな……という感覚。例えば、会話をしていても言葉が出にくいとか、そんな些細(ささい)なことから始まりました」 彰さんはそのころ、新事業の準備で多忙だったこともあり、沙代子さんはストレスによるうつ症状か、男性の更年期障害を疑っていたという。ところが、日に日に違和感は増していった。 「食事中、全然楽しそうじゃないんです。おいしいとか、食べたいという感情が見られない。食欲がないのかと思えば、そのあと冷蔵庫のものを物色して食べていたり。以前とは明らかに違う様子でした」(沙代子さん、以下同) 異変は続く。テレビのリモコンやスマートフォンなど、家電の操作が困難になり、駐車場では止めた車の位置を思い出せない。食卓で自分の器がわからなくなることも。そのころ、ドライブ中に彰さんは車の自損事故を起こしてしまう。 「ドライブが趣味でしたが、この事故をきっかけに免許を返納しました。思えば、これがふたりで出かけた最後の旅行になりました」
異変の1年半後に確定した病名
介護福祉士をしていた沙代子さんは、その経験から、夫の脳の異常を疑う。脳ドックに行ってみようと促すが、 「本人にはまったく自覚はありません。行く理由がわからないうえ、職業柄病院には顔見知りも多い。そこに診察される側として行くことに抵抗があるようで、なかなか受診につながりませんでした」 また、沙代子さん自身も夫の認知症を疑いながら、「職場から何も連絡がないということは、大丈夫なのかな……」ともやもやしながら日々を過ごしていたという。そんな沙代子さんを決心させたのは、長女の麻由さんの言葉だった。 「気持ちが揺れている私を見かねて『認知症の家族の会に一緒に行かない?』と声をかけてくれたんです。私はすぐに『そうだね』と返事していました。娘からはっきり言われたことで、気持ちが固まったんだと思います」 その後、県内の病院を受診。若年性アルツハイマー型認知症の診断が下りたのは、最初の異変に気づいてから約1年半後のことだった。 病院で萎縮した脳のCT画像を目の当たりにした沙代子さんは、「やっぱりか」とショックを受ける。しかし当の彰さんに動じる様子はなかった。 「自分の身体だとは理解していませんでした。まるで他人のものを眺めているような感じでしたね」 診断をきっかけに、新規事業は人に託すことに。しかし、彰さんはこのときまだ64歳。言葉は出にくくなっても体力に衰えはなく、理学療法士としての技術も身体が覚えていた。 沙代子さんは「可能な限り今までどおりの生活を続けたい」という思いから、自らが補助につき、運動指導やマッサージを行うサービスをスタートさせる。開業と同時に、SNSで彰さんの病気を公表した。 「認知症状のある人が施術することに対し、周りからどんな反応があるか心配でしたが、ある福祉施設から『塚本さんができる範囲で一緒に仕事をしませんか?』とお声がけをいただいたんです。 現役時代も医療に尽くした人でしたから、それを認めていただき、仕事を続けられることは幸いでした。公表してよかったと思っています」 周囲のサポートを受けながら彰さんは2年近くリハビリの仕事を続ける。しかし、症状は徐々に進行していき、利用者の顔や名前、自分が行った施術の記憶も困難に。2021年12月、現場を退くことを決意する。