「『103万円の壁』引き上げでは抜本的解決ならず」法政大・山田久教授
そこで注目すべきなのが交易条件です。産業構造の転換が遅れたことで悪化した条件を改善させないといけない。賃金が交易条件で決まるというのは直感的には分かりにくいのですが、これが結構効いてくるのです。 交易条件とは貿易での稼ぎやすさを示す指標で、輸出物価指数と輸入物価指数の比で表されます。まず輸出ですが、かつて日本がずば抜けて強かったエレクトロニクス分野は新興アジア勢との価格競争に巻き込まれ、輸出価格を上げられない状況に直面してしまいました。一方の輸入価格は化石燃料に依存せざるを得ないため上がっていく構造にあります。つまり交易条件は基本的には悪化する傾向にあるのです。 海外に製品やサービスを安く売らざるを得ず、しかも高い燃料を買っているわけですから、このままでは所得は国内から海外に移転する一方です。国内で一生懸命に生産性を上げても実質賃金が伸びにくい構造になっていると言えます。 産業構造の転換を急ぎ、稼げる産業のバリエーションを増やしていかないといけません。あとはエネルギー政策。化石燃料の輸入を減らしてカーボンニュートラル(CN)を進めていく必要があるでしょう。CNを軸にした生産システムをつくり出すなど、政府はビジョンを示して、もっと積極的に取り組んでいくべきだと思います。労働政策ばかりに注力するのではなく、エネルギー政策とか産業政策にもっと重点を置くべきなのです。 衆院選に先立って行われた自民党総裁選では、解雇規制の見直しも議論の俎上(そじょう)に上がりました。今後大きなテーマになるでしょうか。 山田氏:考えにくいでしょう。解雇のハードルを下げないと不採算事業の整理が進まないという指摘もありますが、これはちょっと古い議論だと思います。というのも、既に大手企業は早期退職を募ったり、再就職支援サービスを導入したりして不採算事業の整理を進めているからです。紛争になった場合に金銭で解決する事例も少なくありません。 金銭解決の制度が求められるのは、むしろ中小企業の方でしょう。不当に解雇されたのに泣き寝入りを強いられるケースはあります。こうした事態を防ぐために制度が必要だという議論に賛同する向きは強まっていると思います。ただ、いずれにしても導入に際しては野党の反対が避けられないでしょうし、強引に導入した場合は国民の反発を受け、選挙を乗り越えるのが難しくなる。だから解雇規制の緩和を進めるのは実情としては難しいでしょう。 大企業を中心に、労働市場の流動性をもう少し高める必要はあるかもしれません。ただ流動性を高めることと解雇規制の緩和は必ずしもイコールではない。だから岸田文雄前首相はリスキリング(学び直し)による能力向上支援や職務給の導入、それに成長分野への労働移動の円滑化という「三位一体の労働市場改革」を掲げて、流動性を高める環境整備を進めてきました。改革の方向性はおおむね正しいと思います。これを着実に進めていくことが現実的ではないでしょうか。
飯山 辰之介