「光る君へ」を手がけた脚本家・大石静に独占ロングインタビュー!
人を常に観察し、観察力を研ぎ澄ませる。
たくさんの才能が呼応し合って出来上がる連続ドラマ。考える、撮る、飾る、演じる。その中で大石が担うのはゼロから物語を立ち上げて、台詞で物語を綴ることだ。その着想源は一体どこから見つけているのだろう? 「日々の暮らし、すべてが書くためのネタです。『これはドラマになるかもしれない』と、いつもヒントを探しています。だから日頃はあえて何か行動をすることはありません。ただし、想像力を鍛えておくことは必要ですね。たとえば電車に乗っていて『前に座っているおじさんは、こんな職業で、こんな家族がいて......?』と想像を膨らませる。観察力を研ぎ澄ませておく。そんなに楽しい行為ではないけれど、これは修業だと思って続けています」 アイデアがあって、物語が始まる。脚本がその基盤となる。それは間違いないけれど、脚本家の精神がむき出しになることはないという。 「小説家のように究極の自己表現ではないですからね。大勢で作ることを楽しまないと、この仕事はできません。ドラマは私のものでもあり、監督のものでもあり、プロデューサーのものでもあり、役者のものでもあります。ですから、1時間のドラマの中に、私らしい台詞がひとつはないと、と思いますが、そのほかは監督やスタッフ、キャストに委ねます。毎回、こう来るのかと驚くことの連続ですよ」
脚本家は、いち職人。
脚本家もただデスクに向かって、血眼に書けばいいというわけでもない。よりよいものを作るために、監督やプロデューサーの意見で何度も直し、皆で何度も揉んで作っていく。台本の打ち合わせは8時間に及ぶこともしばしばだ。とてつもない情熱と打たれ強い精神がないと脚本家は務まらない。 「打ち合わせは激しい議論となる場合もありますので、私のことをトゲのある奴だと思っている仲間もいるかもしれませんが(笑)。でもすべては素敵なドラマをこの世に送り出すための工程ですから」 エネルギーが集結した約1時間の物語。そこでひとつだけでも"大石静らしい台詞"があればいい。確かに彼女が生み出す台詞には、いつの間にか、ぽとん、と心に落とし込まれるような台詞がある。確かにある。「オーダーされたものにこたえ、生きた台詞で物語を紡ぎ、その作品の哲学をスタッフとキャストと見る人に示すのが脚本です」 自分は職人であり、決してアーティストではないと言う。