「実の母じゃないと聞かされた進次郎は…」 叔父が明かす小泉進次郎の知られざる素顔
関東学院大学進学の理由
兄の孝太郎氏と同じ関東学院六浦小学校に進んだ進次郎氏はそのまま、関東学院大学まで「エスカレーター式進学」している。 「ウチの子供は上が女、下が男で、孝太郎、進次郎と一緒に四人でいつも遊んでいたんだよ。で、学区に区切りがなくて四人が通えるところがいいんじゃないかってことで、最初に孝太郎が関東学院六浦に行ったの。それに続いて進次郎もウチの子たちもみんな関東学院に行ったんだ」(同) 進次郎氏が兄と共に打ち込んだのは野球だった。 「勉強は普通だったと思う。それは俺が兄に言ったの。1週間に1回とか、たまに帰ってきて“勉強しろ”とか叱られても子供はしらけちゃうでしょう。だから勉強しろって怒ったりしないでくれって言ってたんだよ。そしたら兄は“分かった”って。そういうのは分かる男だから、うるさく言ったりはしなかったと思う」
「慎重で思慮深い子供」
大胆な勝負師といった面がある父親の性格は受け継がなかったようで、 「進次郎は慎重で思慮深い子供だったね。例えば洋服を買いに行っても、一つに選べない、ずっと迷ってる」 正也氏はそう述懐する。 「初めて積極性を出したな、と思ったのは、兄が“政治家をやめる”と言い出した時。俺は兄に“もう一回選挙に出て、進次郎と一緒に地元を回って、進次郎はその次やればいい”って言ったんだ。でも28歳の進次郎は“親父がやめるなら、俺は出たい”って。二人で決めちゃった」
「レール」を敷く動きが……
ただし、実際には大学時代、すでに政界に進む希望を持っていたようである。同時期、彼の前に「レール」が敷かれるかのような動きがあったのは偶然ではあるまい。 「進次郎さんが大学を卒業する前、関東学院大学文学部の教授から“うちの学生に総理の息子がいて……”と相談を受けたのです」 そう語るのは、ホワイトハウス事情に精通する国際関係学研究所所長の天川由記子氏である。 「その教授に話を聞くと、“進次郎君がコロンビア大学大学院に行きたいと言い出した。ジェラルド・カーティス教授の下で政治学を学び、父の跡を継ぎたいと言っている”。ところが天下のコロンビア大学に行くには圧倒的に英語力が足りていなかったそうで、“推薦状を頼まれたんだけど、どうしたらいいか”という相談でした」 天川氏は、当時ブッシュ(子)政権下で国家安全保障会議(NSC)の上級アジア部長兼大統領特別補佐官という要職にあったマイケル・グリーン氏に電話で相談した。すると、カーティス教授と親しいNSCアジア部長のビクター・チャ氏を紹介され、同氏からこうアドバイスされたという。進次郎氏の武器は“父の跡を継ぎ、首相になる可能性があること”で、“小論文や推薦状で彼が政治家になることを強調するように”――。天川氏が関東学院大の教授にその“秘策”を伝授したことが奏功したのか、進次郎氏は「条件付き」で無事に合格。その条件とは、TOEFLのスコアが600点に達するまでコロンビア大学内の語学講座で英語の授業を受けること、だった。