「誇り高く、格好よく、そしてどこまでも人間的」長年の友人・村上香住子が垣間見た、ジェーン・バーキンの素顔とは?
文筆家・村上香住子が胸をときめかせた言葉を綴る連載「La boîte à bijoux pour les mots précieuxーことばの宝石箱」。今回は筆者と公私ともに親交の深かった、女優にして歌手、世界を魅了したジェーン・バーキンの言葉をご紹介。
ジェーンは自分の中に美意識の掟のようなものを持っていた。彼女が笑いころげている姿はあまり見たことがなかったし、いつも自然体で、必然的な時は別だが、大袈裟なことはあまりしなかった。そこには彼女なりの美意識があったような気もする。軽々しく、つまらないジョークをいうこともなかったし、言葉遊びのような冗談にはまるで反応しなかった。どちらかというとメランコリックだったのかもしれない。 だがある時、こちらがジョークで言ったわけではないのに、なぜかジェーンにウケて、大笑いをした、というメールがきたことがある。鎌倉に引っ越しをして間もなくのことだった。パリのジェーンにメールを送った。 「今朝はね、ピカビア(猫)をバギーに乗せて海岸まで散歩に行ったの。ところが生まれて初めて海岸を見たピカは、砂原だから、てっきり広大なトイレだと勘違いしてしまったの。だからすぐにピピをしてしまった」と書いたところ、普段はなかなか返信をしないジェーンから、すぐに返信がきた。 「こんなに大笑いをしたのは、いつ以来か、もう覚えてないくらいよ」 どうやら動物のネタは、ジェーンのツボのようだった。
不眠症だったジェーンは、長女のケイト・バリーがパリのアパルトマンから落下して亡くなったあと、人前では涙を見せなかったようだが、おそらくひとりで泣き明かした夜も多かったのではないだろうか。そんな気がする。だが一度だけみんなの前で涙を流したのをみたことがある。亡くなる数ヶ月前、ケイトが京都での写真展のために来日して、私と一緒にケイトが歩いた道を、自分も歩いてみたい、とジェーンが言い出した。渋谷のオーチャードホールでの一夜限りのコンサートのあと、シャルロット・ゲンズブールも同行して私たちは京都に向かった。 その日娘の写真展を開催したひとと話していたジェーンの唇が、少し震えているように見えたが、その直後涙が溢れ出していた。ジェーンは誇らしく泣いていた。上を向き、涙を拭おうともしなかった。後にも先にも、あんな格好のいい泣き方はみたことがない。二度とふたたび、あれほど格好のいい女性と会うことはないだろう。 誇り高く、格好よく、そしてどこまでも人間的だった。
Jane Birkin 1946年、ロンドン生まれ。64年、『ナック』の端役で女優デビュー。同作の音楽担当だったジョン・バリーと結婚。長女ケイト・バリーが生まれたが、後に離婚。68年にフランスに渡り、セルジュ・ゲンズブールと出会い事実婚関係に。80年、DVやアルコール問題で別居するが後に和解、91年のセルジュの死まで交流は続いた。80年に映画監督のジャック・ドワイヨンと出会い末娘ルー・ドワイヨンが誕生するも、92年にジャックの監督作の内容を巡って、関係性は終わりを迎えた。歌手、モデルとしても代表作多数。photography: AP/Aflo