jo0jiが語る、imase&なとりとの仲、死生観を歌う理由
jo0jiが音楽の中で語る、死生観
―私は、jo0jiさんの音楽にはめちゃくちゃ特別なものであると思っているんですね。初めてjo0jiさんについて触れた記事には「jo0jiが歌うと、世界の規律が崩れ落ちる音がする」と書いたんですけど、「歌が上手い」とか「キャッチー」とかそんなことすらも超越して、「何か」が宿っている音楽だと感じるんです。そもそもjo0jiさんは「音楽」というものをどう捉えているのかということを、今日聞きたいなと思って。 jo0ji:小さい頃、大体、落ち込んだりバッドに入っていたりしたときに音楽を聴いていたので、音楽は「励ましてくれるもの」みたいな感じがありましたね。 ―力をくれるものであり、人生の生き方を教えてくれるものであり。 jo0ji:そうですよね。「こういうふうに思うのは自分だけなのかな」って、落ち込んだりダメだなと思ったりしたときに、同じ状況の歌詞とかが出てくると「みんなこういうことを思ってたんだ」「独りじゃないんだな」って思うんですよ。しかも経験していく中でしかわからない感覚や感情ってあって、何の気なしに聴いていたのに、不意に「あ、このことを言っとったんか」みたいにくるときがあるじゃないですか。あれが本当に嬉しくて、楽しくて。音楽は本当に、色々な救いがあるなと思います。 ―jo0jiさんの歌詞は、本来自分しか読まないような本音を吐露した日記であり、聴き手への手紙である、というふうに思うんですけど、そうやって音楽を聴いていた子ども時代は、自分のもやもやとか悩みを人にしゃべるタイプでした? jo0ji:自分の中でぐるぐるしてたほうですね。言葉にするのが下手で。今もそうなんですけど。そんな感じなので、自分の気持ちを人に上手く伝えれなかったり、伝えようとしても恥ずかしくなったりめんどくさくなったりして、「もういいや」みたいな感じになっちゃっていたので。そういうときに、(忌野)清志郎、中島みゆき、(吉田)拓郎とかの曲の中に、「ああ、それです」ってなるのがいっぱいあって。「君が僕を知ってる」(RCサクセション)とか、すごく救われましたね。そこで勝手に自分の哲学みたいなものを作っていたと思います。 ―自分の気持ちをあまり人に語らない中で、初めて友達のために「不屈に花」を作って聴かせたときは、どういう気持ちになりました? jo0ji:「伝わるんだ」と思いましたね。友達がポエムみたいな歌詞を書くって、面白いと思うんですよ。だから普通に爆笑されると思ってたのに、「え、マジいいじゃん」みたいに言ってくれて。素直に伝わるもんなんだなって思いました。音楽というものが一個挟まると、照れくさいこととかでも素直にポンと投げれるんだなって、作ってみて思いましたね。もしかしたら、音楽を挟むと(受け手にとっても)ピントが合う感じがあるんですかね。 ―「不屈に花」は友達が落ち込んでいるときに書いた曲だそうですけど、友達はどんなことで落ち込んでいて、どんなふうに声をかけてあげたいと思ったんですか? jo0ji:俺らが21、22歳くらいのときに作った曲なんですけど、ちょうど友達が専門学校とかを卒業して働き始めた年だったんですよ。1年目って、「仕事辞めたい」とかの気持ちのブレが一番生じる時期なんですかね。俺は何も思ってなかったんですけど、友達は「この仕事はもう続けられないかも」「やめよっかな」「俺、こんなことやっとっていいのかな」みたいな、悩みとか焦燥感を募らせていて。それを傍から見て、「お前らなら別にどうなろうが大丈夫じゃね」というふうに思ったので、とりあえず人に気遣いすぎんように、思うように生きていったらいいと思います、っていう感想を伝わるように書いたらそうなったんですよね。 ―それがこんな表現になるのが……凄すぎる。 jo0ji:友達は、一人ひとり芯があって、自分の中の正解みたいなものがちゃんとある人たちなので、そこにバッテンをつけられると病んでしまったり……生き死にとかまでいきそうな危うさがあったので、そういうことはしてくれるなよっていう気持ちとか、「絶対に大丈夫だから」ということを、どうにか歌詞にしたという感じです。 ―今「生き死に」という言葉が出ましたけど、jo0jiさんの曲って、死生観とか、死というものに対する眼差しが見える気がするんです。そういった意識はjo0jiさんの中でありますか? jo0ji:生き死には、日常の中にあると思うんですよ。自分もそのうち絶対に死ぬし。人は唐突に死ぬということを、今まで生きてきた中でも何回か経験したので。死とは隣り合わせだし、自分もいつ死ぬかわからんし、という中で、諦めるでもなく、大げさに怯えることもなく、受け入れるというか。受け入れた先に、成長というか、悟りというか、何かがある気がして。なので生き死には、ずっと横にある存在だと思います。隣人というか。そういう感じがありますね。 ―「cuz」は亡くなったおばあさんのことを書いた曲だそうですけど、そういうことを考えるきっかけは、それだけじゃないということですよね。 jo0ji:そうですね。一般的に、24、5年生きていたら、どれくらい人を亡くすものなのかわからないですけど、けっこう亡くしている気がするんですよね。田舎なので、高齢者の知り合いが多かったりするし、車の事故で亡くなったりもするし。親が漁師で、水難事故で人が亡くなることもあるし。突然の別れは、何個かあったりして。でも、仕方がねえなっていう考えなんですよ。家族や周りの人も。みんな「まあ天命だから」って言うんですけど、本当にそうだなと思って。なるべく前へ進むように、って思うようにしてます。乗り越えなくてもいいのかもしれないし。生きていくということは、そういうものなので。共存する、というふうに生きられたらいいなと思う。だから歌詞にも、いつでも死はそこにあるということを、どこかに漂わせていたほうがいいなと思うんですよね。 ―とても大事な真髄部分を話してくれてありがとうございます。最新曲「BAE」(読み:ベイ)も凄い曲で。ここにも“影”、“亡霊”という言葉が出てきて――いろんな捉え方ができる言葉だとは思うんですけど――これは、どういうふうに生まれた曲ですか? jo0ji:いろんな曲を作っていく中で、自分らしさみたいなものがわからなくなった瞬間があって。どういうものを作ればいいのかとか、ポップスとは何か――いろんな人に届くものを、と考えながら作っていたんですけど、自分らしさが死ぬ感覚があったり。あとは、人の目とかを気にしたことが今までなかったんですよ。SNSも身内だけでしかやってなかったし、不特定多数の人に見られる感覚がまったくなかったところから、どんどん人に届くようになって。第三者が出てくると、こんなにも自分はブレるのかと。そういうときに、一回全部抜きにして、何も考えずに、今思っているもやもやとかを全部吐き出すような形で作ってみようっていうので作り始めた曲です。