「ハシゴ車を使ってでも窓から母を見たかった」大和田美帆 残された家族の本音「美帆には大丈夫と言っておいて」と岡江久美子は伝言を残し
── 病院からの電話ではどんなお話をされたのでしょうか? 大和田さん:「あんまりよくなってないですね」から始まって「もっと悪くなった」後半は「厳しいです。延命しますか?亡くなったらひとりしか会えないです」「危篤です」って、すべてトントントンって話が進み、こんな大事な話も電話で聞かなきゃいけないんだって悲しかったです。日本でもコロナに対して今以上に知識や情報がない時期だったし、父もわかりましたっていうしかないですよね。
── お亡くなりになったときは、病院から連絡が来たのでしょうか。 大和田さん:「亡くなりました」「わかりました」と言って父がひとりで病院に行きましたが、そのまま荼毘に付したので、母は家に戻って来なかったんです。都内でも受け入れるところがなかったようで、千葉の方まで行ったようですが詳しいことはわからないまま、遺骨になって帰ってきたのがあの映像ですね。自宅の前で葬儀会社の人なのかな。お骨を直接渡せないからと家の前に置いて、後から父が受け取って。私もテレビで観て言葉を失いました。
何から感染するかわからないからと、母のバッグも燃やされちゃったし。火葬場にも行っちゃいけないと言われましたが、仕方がなかったと頭でわかっていても、どうしてなのか当時からわからないまま今に至ります。 いまだにこんなことが起きるんだなといった感情を抱えながら、今できることを自分なりにやっているところです。 PROFILE 大和田美帆さん おおわだ・みほ。1983年生まれ。東京都出身。2003年、舞台『PURE LOVE』でデビュー。ミュージカル『阿国』、音楽劇『ガラスの仮面』、『アマデウス』、『ハリーポッターと呪いの子』など多くの舞台で活躍。「チョイス@病気になった時」にMCとして出演中。1児の母。
取材・文/松永怜 写真提供/大和田美帆
松永怜