球団との“銭闘”へ…年俸調停までもつれた選手(6)年俸アップも”自由契約”に
球春到来を迎えたプロ野球。オフシーズンの間には契約更改が行われ、今季の選手契約が正式決定した。契約更改はスムーズに進むことも多い一方、待遇や評価に納得できず、交渉が難航するケースも少なからず存在する。そこで今回は、年俸調停を申し立てた経験がある選手を紹介する。
高木豊
投打:右投左打 身長/体重:173cm/76kg 生年月日:1958年10月22日 経歴:多々良学園高-中央大 ドラフト:1980年ドラフト3位 落合に続いて年俸調停を申し立てたのが、横浜大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)で活躍した高木豊である。 屋鋪要、故・加藤博一とともに「スーパーカートリオ」 の一員として活躍した高木は、1982年からレギュラーとして活躍。1983年からは4年連続で打率3割をクリアし、1984年は56盗塁で盗塁王に輝くなど俊足巧打を活かしてチームに欠かせない存在となった。 その後も活躍を続け、1992年も打率.300、24盗塁をマークしたが、同年オフに高木の要求と球団の提示額に差が生まれて交渉がまとまらず。年俸調停に突入した。 結果的に年俸アップを勝ち取った高木。しかし1993年オフ、同じくチームの中心を担った屋敷らとともに自由契約を通告され、日本ハムファイターズへ移籍することとなった。
ベースボールチャンネル編集部