一度は引退に傾いた村田諒太はなぜ再起を決断したのか。その選択は正解なのか
村田限界説の検証
だが、それらは興行面での話。プロである以上、興行での話題性も、世界ベルトも切り離すことのできない要素ではある。しかし、村田の再起の理由は、きっとそんなものではないのだ。 哲学者の村田にしては珍しく、それをうまく言葉にできなかったが、それは、きっと何のためにボクシングをするのか、という村田諒太の哲学的追及のアンサーにもなる。 本稿のタイトルからずいぶんと話が脱線したが、語るべきは、村田の再起選択の是非である。前回の試合後に、いたるところから「村田限界説」を耳にした。 この日の会見でも村田は「基本のベースは変わらない。でも、倒すパンチを打ってない。空振りでもいい。KOを期待できないとおもしろくない。しっかりとしたパンチを打つ状態に戻ること」と語ったが、ブロックを固めてプレスをかけて「ワンツー」というスタイルは変えようがない。 ブラントに、またサイドから揺さぶられて右を封じられ、手数で圧倒されると、録画ビデオを見るような試合展開になるのではないか、という危惧もある。 だが、村田が気力に溢れ、ベストなコンディションとベストな準備でリングに立てばどうだろう。 実際、村田は「ブラントより(2度対戦したアッサン)エンダムの方が強かった」とも口にしていた。 元WBA世界Sフライ級王者で村田の動体視力のトレーニングを指導している飯田覚士氏とも、前回の試合後に議論したが、「最高に仕上げて、しっかりとした対応策を練れば、同じ展開にはならないだろう。一発当たればの試合は作れる。カネロ、ゴロフキンが相手では厳しいだろうが、他のチャンピオンクラスとは十分勝負になる」との見解で一致した。 ただ勝ち負けを左右する問題はモチベーション。会見に同席した浜田剛史代表も「大事なのはモチベーション」と言った。すべてを得た男が何を理由に戦うのか、それを維持できるのか、という問題。そこだけは未知の部分なのだ。 彼の戦いに自らの人生を重ねている多くの人たちがいる。 11月上旬に京都で800人もの南京都ボクシング部OBとファン、関係者を集めて「山中慎介の引退記念&村田諒太を囲む会」が行われた。 筆者は、大学時代に2度、村田と戦い敗れた過去のある嶋田琢也さんと、同じテーブルになり、こんな話を聞いた。 「本当に強かった。2試合共にRSC負け。ああいう選手が五輪で金メダルを取り世界王者になるんだなと思った。でも、村田が、そうやって強くなってくれたおかげで負けたことが自慢できる。俺は、あの村田とやったんだって。だから、今は、村田が頑張ってくれることが、生きがいになっている。もうちょっと夢を見させてほしい」 奈良工業高―大商大という関西の名門でボクシングをしてきた嶋田さんは、自らの人生を村田に投影している。 村田という人間の人格と、そのストーリーが応援している人たちをそんな気持ちにさせるのだろう。村田の現役続行で、おそらく、次の試合を放映する予定の某局と巨大広告会社がビジネスライクに喜んでいるのは、少々しゃくに障るが、「ボクサー・村田」のエンディングは、彼自身、そして彼に心を通わせる人たちにとってのハッピーエンドであって欲しい。この再起が正解だったか、失敗だったかは、周囲や歴史が評価するものではなく、何年か後に彼自身が決めることなのだと思う。 最後に。 村田は会見で東京五輪でのボクシング競技の存続問題についてもコメントを残していたので追記しておきたい。 「東京五輪でボクシングは見たい。でも僕に何ができるか、と言えば何もない。できること、できないこと、は人生で見極めないと駄目。ムーブメントに火をつける役目はやりたいが、あまり感傷的にはなっていない」 (文責・本郷陽一/論スポ、スポーツタイムズ通信社)