青木拓磨のモータスポーツライフVol.16 「15年ぶりの日本人世界チャンピオン誕生、おめでとう!」
1990年代に国内外のロードレースでその名を轟かせた青木三兄弟の次男、青木拓磨氏。全日本で王座に輝いた後、世界グランプリの500ccクラスにステップアップし、これからという時に1998年のテスト中の事故で下半身の自由が効かない身体になってしまい、現在は車いすレーサーとして4輪レースへ転向し、昨年のアジアクロスカントリーラリーでは総合優勝も遂げています。その拓磨選手が、日本人チャンピオン誕生について語ってもらいます! 【画像】小椋選手の参戦の様子をギャラリーで見る(5枚) 文/Webikeプラス 青木 拓磨、Photo/MotoGp news
小椋 藍選手、おめでとう!
みなさん、こんにちは。ついに小椋藍選手がMoto2チャンピオンを獲得しましたね。実に15年ぶり、青山博一選手以来の世界チャンピオンの誕生です。小椋藍選手は2001年生まれの23歳。ポケバイから始めて2014年にロードレースデビュー。2015年からはアジア・タレント・カップ(ATC)に挑戦を開始。そして2018年にロードレース世界選手権(MotoGP)のMoto3へのスポット参戦を機に活躍の舞台を世界へ移し、Moto3へは2019年からフル参戦、さらに2021年からはMoto2へステップアップしています。 2022年はタイトルに手が届きそうなチャンピオン争いを演じたのですが、最終盤2戦で転倒し、残念ながらその芽がなくなってしまいました。そして翌2023年はチャンピオン候補の筆頭に挙げられていたのですが、シーズン開幕前に左手脱臼骨折を負い、スタートダッシュすることができず、シーズンを棒に振ってしまいました。 そして迎えた今シーズンなんですが、移籍するタイミングと重なってしまいました。それまでのホンダ・チーム・アジアから離れ、MTヘルメット-MSIチームへ移籍。継続してMoto2へ参戦となったのですが、使用するフレームはカレックスからボスコスクーロになり、同時にワンメイクタイヤはダンロップからピレリへと変更されるという激変のシーズンとなってしまいました。 シーズン序盤はこのさまざまな変更に対して合わせていくのに苦しんでいたみたいで、チームメイトのセルジオ・ガルシア選手にポイントで先行を許すこととなってしまいました。それでも第5戦フランスで2位に入るなど速さが戻ってきます。続く第6戦カタルーニャで優勝、第8戦オランダでも優勝と調子を上げていきました。 ただ、第11戦オーストリアでは練習走行(プラクティス2)で転倒を喫し、その際に右手を骨折してしまったためレースは欠場・ノーポイントとなってしまいました。この時点でランキングトップのガルシア選手に18ポイント差の2位につけていた小椋選手にとってはチャンピオン争いに黄信号が灯る事態となってしまいます。 しかし、2週後の第12戦アラゴンには痛みに耐えながらも8位完走でポイントをゲット、さらに第13戦サンマリノではなんと今季3勝目を挙げることとなったのです。一方のガルシア選手はアラゴン戦の予選で転倒して決勝でも下位に沈み、小椋選手はポイント差を詰めることに成功し、さらにサンマリノの優勝でポイントリーダーに立つこととなり、この後はこのチームメイトとの差を広げていくこととなりました。 そして最終的には第18戦タイでほかに追いすがる選手も引き離し、シーズン残り2レースを待たずしてチャンピオンに輝きました。