「昭和・宮川孝雄 平成・浅井樹 令和は松山竜平」広島カープは “代打” が打つんです 記録に驚く 松山も球団 “三大代打” へ
木村雅俊 さん ぼくもこの表を見たときにちょっとびっくりしたんですけど、かなりすごいデータだと思います。なんでだろうと考えた場合、明確な理由はわからないんですけども、ちょっと思うのは宮川さんの時代も浅井さんの時代も外野のレギュラーがものすごく強固で、そこになかなか入っていけなかったと。打つ方のセンスはものすごくあったので、チーム事情的に代打に回っていくと。宮川さんは入団4年目に代打専門になったみたいなので。いかにその時代の外野が強かったかということだと思いますね。 中根夕希 キャスター 競争率も高かったっていうことですね。 木村雅俊 さん その中で松山選手ですけども、スタメンで一時期、出ていましたけども、今はもうベテランになってきたので代打専門になってきましたが、松山選手といえば、“おなじみのフレーズ” があると思うんですけど、調べてみて、彼の一番最初にお立ち台に立った日の映像を用意してもらいました。 初の「お立ち台」 2011年9月19日 広島カープ 松山竜平 選手 「じいちゃん、ばあちゃん きょう、俺やったよ」 青山高治 キャスター これが初のお立ち台、2011年…。だいぶ今と感じは違いますね、おなじみのフレーズですけども。 木村雅俊 さん 顔も真っ黒だし、シュッとしている感じもありますよね。 中根夕希 キャスター まだ若くて、なんかテンポ感が違いますね。「(腕を突き上げて)俺やったよ!」っていう感じじゃなくて、「俺やったよ…」ってちょっと恥ずかしさとかも…。でも、なんで鹿児島のじいちゃん・ばあちゃんだったんですか? 木村雅俊 さん 松山選手が大学に進学する際に祖父母が学費の足しにということで飼育していた牛を売って学費を工面してくれたんですね。それがあって大学行って、プロに入って4年目で初めてのお立ち台になったんですけども、あの日は2011年9月19日「敬老の日」なんですよ。 青山高治 キャスター ああ。 コメンテーター 木村雅俊 さん (中国新聞社 編集委員室 特別委員) そのときに「じいちゃん、ばあちゃん ありがとう」って言ったのが、あれから十何年経ってあんなに洗練された、みなさんに響くフレーズになっていったということですね。
青山高治 キャスター へえー。日にちの巡り合わせもあって生まれた名フレーズなんですね。今シーズンも、あと何回もあのフレーズをお立ち台で聞きたいなと思います。
中国放送
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