京都市長選 松井孝治氏が薄氷の勝利 与野党相乗りで何を守ろうとしていたのか...
午後11時の結票を迎えてようやく松井孝治さんに当選確実が出た。4日の京都市長選、共産党が強い京都という土地柄はあれど、予想以上の大接戦だった。 【画像を見る】開票の行方を見守る松井陣営の会場の様子 自民、公明、立民、国民が推薦した松井氏だが、共産党が支援する福山和人さんを約1万6000票差でなんとかしのぎ切った。
松井陣営が「(政治とカネで)自民党批判がだいぶある、相手のネガティブキャンペーンもあり街頭でもずいぶん感じた」と漏らすように、自民党安倍派を中心とした派閥パーティーをめぐる問題が選挙戦に影響したことは間違いない。弊社などの出口調査においても支持政党なし、つまり無党派層は自民党への拒否感から福山、村山、二之湯の3候補へと流れていたことがうかがえた。
ただ、今回の京都市長選、自民党の「政治とカネ」のせいで苦戦したということで終わっていいのだろうか。政府与党である自民党、公明党と野党第一党の立憲民主党に最終的に国民民主党までが松井氏を推薦し、勝利をものにした。国会で自民党や岸田政権を徹底批判している野党がその批判の矛先を向ける対象と手を組んだ。京都の有権者は政治とカネの問題で自民党が抱える膿を出してほしいという気持ちはもちろんあるが、それ以上に京都市がずっと沈滞し続けてしまっている膿を出し切ってくれるのかどうかをこの選挙に問うていたはずだ。その点において、結果的に京都市長選で長らく続く非共産VS共産という同じ構図となってしまったことは残念だったし、与野党相乗りには違和感を禁じ得ない。
果たして「オール与党」で何を守りたかったのか?
松井陣営の自民、公明、立憲の関係者、そして門川市長、西脇知事らがこぞって語ったのは「時計の針を戻してはならない」ということ。革新府政・市政が続いた「暗黒」の時代に戻っていいのですか?とアンチ共産を煽った。 16年ぶりの新人対決であり、主要候補が3~4以上となると接戦になるという過去の例に鑑みると共産系候補の伸長が予想され、選挙戦術としては間違っていないのかもしれない。しかし、そこに京都市を改善していく姿勢や市民の姿はあったのだろうか。オール与党で、現状の体制を守ろうとする考えが優先されていなかったか。私は立憲民主党が本当の意味で再び政権を担う存在になるには、たとえ地方選挙といえども自公とは袂を分かち、しっかり自らの手で候補を立てて戦うべきだと考える。一つ一つの選挙で戦う姿をみて有権者から支持される存在になっていけるかが重要だ。地方選挙は国政とは直接関係が無く安定した住民自治が求められるという理屈は保身と言えまいか。