両腕で歩くミャンマーの牧師と合気道開祖の「最後の内弟子」 Vol.7
大日本帝国
数分後、小さな木箱を持った士官が戻った。中には、錆びた鉄くずや刃の欠けたナイフ。 「ミャンマー軍がどうしてこの場所を欲しがるか。分かるか?」 その情報自体を初めて聞いたので分からない。 「ここには、日本軍の兵站基地があったのさ」 あっという間に、この話の先行きが分かった。フィリピンでも、インドネシアでも似たような話を聞かされたことがある。 「逃げるとき、日本軍は持ちきれなかった財宝を埋めていったはずだ」 「ひょっとすると、そんな可能性もゼロではないかもしれませんね」 目の前に出された錆びた鉄くずやナイフがそもそも旧日本軍のものなのかどうかも判然しないが、ひとまず答えた。 「だから今、どこを集中的に掘ればいいかを考えているんだ」 士官に聞きたかったのは、そんな「特別な関係」ではなかったので、取材班のメンバーのひとりが1枚の写真を見せた。自ら筆を執った著作では〈西山孝純〉の名で、ある時期ともに戦った傭兵・高部正樹の著作『戦友』(並木書房)では〈西岡〉として登場するその日本人は、現在まで続くKNLAと日本人の義勇兵を繋ぐ端緒となった人物である。 1989年からKNLAに参加し、98年に熱帯性マラリアによって生涯を終えた。KNLAの精神的本拠地であったワンカーの最前線に立ち、特殊工作にも従事した〈西山/西岡〉に、高部は大きな讃辞を贈っている。 〈西岡は傭兵ではなく、あくまで義勇兵だった/彼の戦いは、カレン軍有数の激戦地であるワンカーの攻防戦だけにとどまらなかった。当時タイ・ミャンマー国境沿いには、パルー、マポケ、ワレーといったカレン軍の主要拠点が点在していたが、他部隊が守備するそれらのキャンプの攻防戦にも積極的に参加し、獅子奮迅の活躍だったという。もし西岡がここで逃げ出していたら、その後日本人は快く迎えられなかったかもしれない。のちにカレンには兵士志願の日本人が何人もやってきたが、その多くがぶざまな姿をさらして、ごく短期間で尻尾を巻いて日本に逃げ帰っている。それでもなお日本人が好意的に受け入れられてきたのは、西岡の功績によるところが大きいのではないだろうか〉【『戦友』より引用】。 (Vol.8に続く)
Project Logic+山本春樹