山口百恵さん 長男妻の疎遠だった父が逝去…自身も葬式にも出なかった“毒父”との不和
やがて百恵さんが歌手デビューすると、所属事務所に借金したり、事務所移籍の話を勝手に進めるなどして百恵さんを苦しめた。『蒼い時』には《私が芸能界に入った途端、あの人は豹変した》《金銭的なトラブルだけでもあの人を許せなくなっていた》と綴られている。 「百恵さんがデビューした翌年である’74年、父は脳溢血で倒れることに。百恵さんは一度は入院先を見舞ったそうですが……」(前出・音楽関係者) 病に倒れてもなお、“百恵の父”という立場を振りかざした。 「百恵さんの父は入院先にマスコミを呼び、百恵さんの親権を自分に変更することを求めて会見を開いたのです。 こうした傍若無人な態度に百恵さんは限界を感じ、以降父に会うことはなかったようです」(前出・音楽関係者) 『PLAYBOY』(’80年11月号)のインタビューで父の消息について尋ねられ、百恵さんは《知らないです》《あまり聞きたいとも思いません》と答えている。 そして『蒼い時』にはこんな記述が。 《生きているうちは絶対に会いたくない。多分、お葬式にも出ないと思う》《私も親という立場になって心が静かになった時に、お墓参りぐらいはするかもしれないけど……》 前出の音楽関係者は言う。 「引退後の’91年に父は他界しましたが、百恵さんは葬式に姿を見せなかったと報じられています。親子の関係が回復することはついにありませんでした」 不和を抱えたままこの世を去った父。百恵さんは、その後も後悔の念と心の葛藤が続いたようだ。 「実の父ですから、本来なら生きているうちに再会したかったでしょうし、死を悼みたかったはず。ただ百恵さんの場合は父との間にトラブルがあまりにも多く、心の整理に時間がかかったといいます」(前出・音楽関係者) いっぽう、牧野は《最期は少しだけ顔を合わせることができました》と明かしている。 「百恵さんは、牧野さんには同じ思いはしてほしくないと思ったのでしょう。どんな事情があったとしても、“できることならお父さんに顔を見せてあげたら”と声をかけたのではないでしょうか」(前出・音楽関係者) “毒父”ともいえる実父を最後まで赦すことができなかった百恵さん。愛嫁への助言には、そんな自省の思いがあったのかもしれない。
「女性自身」2024年11月12日・11月19日合併号