米津玄師の一貫した人生哲学 「がらくた」に投影される“普通になれなかった”人間のアンサー
映画『ラストマイル』が8月23日、待望の封切りを迎えた。 ドラマ『アンナチュラル』、『MIU404』(以上、TBS系)と同じ世界線のシェアード・ユニバース・ムービーとして、公開前より注目を集めた本作。ドラマ2作のヒットの仕掛け人となった監督・塚原あゆ子と脚本・野木亜紀子の再タッグや、各ドラマの豪華俳優陣によるカメオ出演。そして今作を語る上で欠かせないのは、やはりシリーズ主題歌を続投した米津玄師による楽曲「がらくた」だ。 【画像】真っ赤なスーツに三つ編み姿の米津玄師 これまで米津が上記ドラマ2作に提供した「Lemon」「感電」は共にメガヒット。実写映像と音楽という畑の違う創作物ながら、これまでも、そして今回も非常に良好な相互影響を与え合う両者。そこに大きく働く要素のひとつが、特に主題歌制作時に発揮される米津の“物語に寄り添う”能力の高さである。 そこで「がらくた」をはじめとする米津の主題歌は、各作品へ具体的にどう寄り添ってきたのか。楽曲の妙を振り返りつつ、それを通じて彼の持つ稀有な才能の根源へと今回は迫ってみたい。 まず2018年放送のドラマ『アンナチュラル』主題歌「Lemon」。今作は結果として彼の大きな転換点になったと同時に、当時の米津にとっても初のドラマ主題歌かつ実写作品への提供曲であった。 元々彼が好むアニメ・マンガ同様のフィクションでありながらも、実在する生身の人間が紡ぐ物語。そんなコンテンツを彩る曲の制作に大きく影響したのが、彼の祖父の死という非常にパーソナルな体験だったことも今や大勢の知る話だ。 思えば昔から今に至るまで、様々な創作物や宗教・哲学モチーフを用いた空想的な曲制作が米津の常套手段でもあった。ゆえに個人的な具体的エピソードを明確に制作の糧とした点も、ある意味彼の作品群における「Lemon」の特異な点となる。 そうして生まれた本曲は、『アンナチュラル』に登場する大勢の“愛する人を不条理に喪い、それでも生きる”人々の心情を、これ以上なく精彩な輪郭で描き熱烈な支持を得た。この曲は米津自身の、あるいは作中数多の登場人物の、そして今まさに現実で生きる誰かの曲である。個人的かつ普遍的という本来相反する要素を巧みに両立した点も、本曲の人気の根幹的要素のひとつでもある。 続いて2020年放送ドラマ『MIU404』主題歌の「感電」。本作もまた“物語に寄り添う”曲として愛され続ける音楽だ。歌詞はドラマ序盤の脚本から着想を得て作られたが、主題には明確に作中のW主人公である伊吹藍(綾野剛)・志摩一未(星野源)の関係性が落とし込まれている。 単なる仲の良い相棒や、パワーバランスの固定されたコンビではない。衝突を交えつつも時に互いの身勝手さを対等に牽制し合い、その中で相手の心の柔い部分に触れ、唯一無二のバディとして背中を預ける信頼を築いていく。彼らが共に過ごす時間が永遠ではない刹那さも含め、一筋縄ではいかない男二人のブロマンスな情景を見事に描いた点も、曲の高評価へと繋がっている。 改めて楽曲提供発表時の発言を振り返ると、彼は“自分が今暮らしている境遇”も当時本作の要素に含んでいる(※1)。それを踏まえると、米津自身が築く友人との関係性もまた、今作の歌詞へ大いに反映されているようにも思えてならない。 よく名の挙がる著名な面々としては、菅田将暉や川谷絵音、野田洋次郎、常田大希、そして今は亡き盟友・wowakaなど。その親交に目を向けると誰かが特別一番というわけではなく、彼が敬愛し信頼を置く人々とそれぞれ一対一で特別な関係を築く様子が時折散見されている。一親友として、同時にエンターテインメントの世界で鎬を削る同胞として。〈お前はどうしたい? 返事はいらない〉という一節は、米津自身が彼らへ投げかける最上級の親愛の台詞でもあるのかもしれない。 そして映画『ラストマイル』を彩る主題歌「がらくた」。劇場公開から間もなく、作品自体への絶賛とあわせて“物語に寄り添う”主題歌への高い評価も続々と寄せられている。 その中には、物語の中枢を担うある一組の男女に焦点を当てたものも多い。だがおそらく本曲の主題は、彼ら二人を含む“何かしらのディスアドバンテージを背負う人間”、つまり作中人物ほぼ全員のことだろう。“がらくた”とは、使い道や値打ちのない雑多な物体のこと。しかし値打ちや価値が相対的なものである以上、作中の誰しもが“がらくた”足る側面を持つ。楽曲を通してのそんな示唆には、物事の真理を突く米津の並外れた鋭い感性が如実に表れているようにも感じられる。 だがその上で、米津は彼らを“がらくた”のまま受け入れた。 「Lemon」と同様、直近の個人的な体験が制作に影響したこともすでに彼の口からは語られている。しかし本作に滲む底抜けに優しい受容は、きっと彼自身が過去に抱えた、普通の人間ではない“がらくた”だった自覚も由来しているように思う。 あなたは“がらくた”のまま生きていていい。米津のそんな温かな眼差しは作中の人物全員に、彼の友人をはじめとした今を生きる人々に。そして誰あろう、過去の彼自身にも向けられる。そんな一面に前作アルバム『STRAY SHEEP』リリース時の“数多の傷が宝石を作る”という、直近の彼の根底にある価値観との一貫性を感じる人もいるのではないだろうか(※2)。 米津玄師楽曲の魅力のひとつである、“物語に寄り添う”個人的かつ普遍的な要素。それに付随するパーソナルな逸話を聞くと、まるで神の信託のように彼がジャストな体験を得たと感じがちだが、事の本質はそんな非現実な話ではない。 むしろ因果関係は逆で、同じ境遇でも彼のような気づきを得られない人が本来は大半なのだろう。つまり彼の優れた能力の根幹は、“自身の人間としての営み”を感性豊かに拾い上げる力にある。皮肉な話だがその観察眼は、幼少期の疎外感から“普通の人間”になろうとした中で育んだ側面も、もしかしたらあったのかもしれない。 だからこそ、誰よりも本質的に傷だらけの“がらくた”であり“宝石”である米津の言葉には、並外れた説得力がある。同時にその境地へ辿り着いたからこそ、彼は気づけたのかもしれない。自分だけが違う人間ではなく、同じ人間はそもそも誰一人としていない。誰とも違う個人性、それ自体がすべての人間に共通する普遍性なのだろう、と。 ※1 https://www.sonymusic.co.jp/artist/kenshiyonezu/info/516629 ※2 https://natalie.mu/music/pp/yonezukenshi16/page/2
曽我美なつめ