子どもは欲しいですか? 落合博満がイベント会場を“ドン引き”させた答え その時、信子夫人は…“オレ流”発言の真意
◇増田護コラム~人生流し打ち~ 敵はめっぽう多いが、支持するファンもいる。それが「落合博満」という人である。見聞きしたエピソードでつづる素顔。2回目はイベントでの発言と家族の話。もうちょっとうまく言えばいいのに、それをしない人なのである。 ◆落合博満さん、歌手としても活躍していた【写真】 ◇ ◇ 今年大活躍したドジャースの大谷翔平選手。2月に真美子夫人と結婚した時、記者から子どもに関する質問がでた。 「もちろんそうなればいいですけど、自分以外のことは言うとかなわないような気がするのであんまり言いたくないっていう感じですかね」 夫人へ思いやりがあふれるコメントとして高く評価された。 では落合さんは何と答えたか。1回目で紹介した1987年のイベント会場で同じような質問にこう答えた。 「わたし、子どもは嫌いですから」。このひと言で会場はすーっと引いた。そりゃそうだろう。 実はこの時、信子さんの妊娠が判明していたが公表していなかった。それまで2度ほど流産しており、しかも42歳。自宅ではルビー、エルザという2匹の犬が夫婦をいやしていた。子どもがほしいと答えれば妻に重圧をかけ、苦しませると思ったのは明らかだった。 そんな思いを知ってか知らずか信子さんは強かった。妊娠中危機もあったそうで、東京在住時から通いなれた東京の病院で出産する選択肢もあったが、そうはしなかった。「落合を一人、名古屋にはおいていけないと思うの。だから名古屋で産むよ。落合の三冠王に比べたらやさしいことよ」と言った。そして8月20日、名古屋の八事日赤病院で3330グラムの男の子を産んだ。現在声優の福嗣さんである。 3人になった家族。中日の監督になった後、落合さんがこう口にしたことがある。「オレは一生かけて返す借りが家族にあるんだ」と。学校に通うようになった福嗣さんがいじめられ、ロッカーに押し込められたことがあったそうだ。父親と比べて野球が下手だとか、そういうことだったらしい。でも、手を出せば父親に迷惑がかかると、無抵抗だったと。この話を落合さんが家族から聞いたのは引退後。知ったら野球に打ち込めないという配慮だった。「オレは何も知らずに野球をやってたんだよなあ」 福嗣さんの幼少期、奔放な子育てぶりが報道されると世間は「あれでどんな大人になるんだろうね」と言った。ところが陰ではきっちり教育され、たくましくもやさしい男になった。あえて説明はしない。世間体も関係ない。人が見ていないところに落合家の秘密はあるのである。 ▼増田護(ますだ・まもる) 1957年生まれ。愛知県出身。中日新聞社に入社後は中日スポーツ記者としてプロ野球は中日、広島を担当。そのほか大相撲、アマチュア野球を担当し、五輪は4大会取材。中日スポーツ報道部長、月刊ドラゴンズ編集長を務めた。
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