苦労から学んだのは、お客に対して素直に「教えてください」と言えるメンタリティー【タクシードライバー哀愁の日々】
【タクシードライバー哀愁の日々】#18 タクシードライバーになり始めの頃、もっとも神経を使ったのが大都会・東京の走り方だった。埼玉県の田舎町で生まれ育ち、大学生時代も埼玉県、卒業後に手伝い始めた父親の会社も同じ田舎町だった。だから、タクシードライバーになったとき運転免許を取得して30年以上経過していたものの、東京都内の片側3車線、4車線の道路や混雑した道路で流れに乗りながらほかのクルマを追い越したり、スムーズに車線変更したりする運転技術は持ち合わせていなかった。 【シリーズ初回】親子経営の会社が倒産…借金に追われ家も失い、残ったのは「運転免許」だけ とりわけ苦労したのが首都高速道路への入り方や走り方だ。ご存じの方も多いだろうが、都心部で網の目のように張り巡らされた首都高速道路は随所に分岐点があり、いったんコースを間違えてしまうと、目的地に到着するために都心部を逆回りにほぼ1周することになりかねない。その分、料金メーターは上がっていくが、それをお客に請求するわけにはいかない。ドライブを楽しんでいるわけではないのだから、30分で行ける場所に1時間近くも付き合わされるお客にとっては迷惑以外の何ものでもない。 なりたての頃は本当に苦労した。標識を頼りにクルマを走らせるが、東京で暮らしていればおおよそ土地勘があるのだろうが、こちらは埼玉の田舎育ち。渋谷、新宿、目黒、天現寺、霞が関、用賀、永福などという文字が出てきても、どれが正しい方向なのか瞬時にはピンとこない。幸い、大きなミスはしなかったが、はじめの頃は首都高速道路に入ると思わずハンドルを握る手に力が入ったものだ。 いまでも忘れられないのが首都高速道路の箱崎ジャンクションだ。千葉方面に向かおうと料金所を抜けた後、コースを間違えてしまうと銀座方面に向かってしまったり、同じ千葉方面でも湾岸道路に向かってしまったりする。はじめての箱崎ジャンクションでは、その複雑さに思わずブレーキを踏んだこともあった。 注意しなければならないのは高速道路ばかりではない。大きな交差点での右折、左折も要注意だ。あるとき、お客から「上馬交差点で右折」といわれていてクルマを進めていた。東京・世田谷の上馬交差点とは246号線と環状7号線が交差する場所だ。「右折」といわれ、当然ながら右車線を走っていたのだが、とんだ失態を演じた。都内の運転に慣れている方はご存じだろうが、都内の交差点は立体式になっている箇所がいくつかあり、そこでは右折の際には一番左の車線を通行して側道から交差点に入ってから右折しなければならない。初心者だった私はそれを知らず、右折できないことに気づき仕方なく直進しUターンしたことがあった。いまとなっては恥ずかしい事件だが、お客におわびして値引きしたことがあった。 こんな経験から、私はひとつのことを学んだ。それはお客に対して素直に「教えてください」とお願いできるメンタリティーだ。50歳だろうが60歳だろうが、知らないことは知らない。それを受け入れてしまえば「教えを請う」ということが少しも恥ずかしくなくなる。非番のときに地図を片手に道を覚えるより、お客に教えてもらうほうが覚えは早い。 実際のところ「教えてください」という言葉にほとんどのお客はやさしく応えてくれる。「そろそろ左車線に入っておいたほうがいいです」「狭いし右に電柱が立っていますから、こすらないように」「その先、いったん停止ね。ときどきネズミ捕り(警察の取り締まり)やってますから」……。「教えてください」という言葉を口にすることで、正しい運転コースの指示を得られたことはありがたかったし、私は何度もお客の的確な「教え」に救われたのだ。 (内田正治/タクシードライバー)