「大蔵省の責任を書かないという選択肢はなかった」山一証券社長は大蔵省から含み損の「飛ばし」を示唆された…“ミンボー専門”の42歳の弁護士が「調査報告書」に込めた思いとはー平成事件史(18)戦後最大の経営破たん
その4大証券の一角、山一証券は「東急百貨店」との間で、やっかいなトラブルを抱えていた。巨額の損失を、どちらが引き取るのか激しく対立していたのだ。 「東急百貨店」は、バブル投資で損害を出していたが、「飛ばし」を引き受ければ、一定の利息を受け取ることができるため、山一と高い利回り保証契約を結んで、積極的に「飛ばし」を引き受けていたのだ。 しかし、1992年からの法改正で「損失補てん」が禁止されるため、山一は契約を履行できなくなり、「東急百貨店」から損失を引き取るよう、催告状が届いていた。 「(飛ばし)の有価証券を簿価で引き取り、利息分を含め318億円を返せ。返済しない場合は東京地検特捜部に行平社長らを詐欺罪で告訴し、メディアに全容を公表する」 さらに山一は、「東急百貨店」から民事訴訟を起こされる恐れもあった。 両社の交渉は難航していた。この対応にあたっていたのが、東大卒のエリートで“山一のプリンス”と呼ばれた副社長の三木淳夫であった。1992年1月、三木は、MOF担(大蔵省担当)時代から知り合いの大蔵省松野証券局長を訪ねた。そこで「東急百貨店」の件を相談したところ、松野から、ある示唆を受けていたという。 当時の大蔵省は絶対的な権力を持つ監督官庁であり、証券局長の助言は事実上の「行政指導」と受け止めるのが常識だった。 この件について三木は調査チームのヒアリングに対して、驚くべきやりとりを明らかにした。 三木副社長によると、大蔵省の松野証券局長とのやりとりはこうだ。 松野局長「東急百貨店と揉めているそうですが、どうするのですか。大和証券は海外に飛ばすそうですよ」 三木副社長「海外は難しいのではないですか」 松野局長「うち(大蔵省)の審議官が知っているから、聞いてください」 松野と話をしたあと、三木は大蔵省から山一本社に戻り、松野の言葉を当時社長だった行平らに伝えて、対応を協議した。その結果、やはり松野の言葉は、含み損を「飛ばし」で処理するよう示唆していると解釈した。
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