池袋駅「ポツンと出入口」なぜ生まれた? 駅から遠くにわざわざ建設 “離れ小島”39番出口の謎
カギは直下を走る有楽町線?
地下鉄3路線が乗り入れる池袋駅(東京都豊島区)は、東西に広大な地下コンコースが伸びていますが、その東端にあるのが39番出入口です。駅中心部からの距離だけでいえば、最も遠いのは西口副都心線コンコースの先端にあるC1~C3出入口ですが、東口は出入口の多くが駅前広場付近に集中している中で、39番出入口だけが突出しています。 【写真と案内図】38番出入口の場所と、そこに続くひっそりとした地下通路 しかも出入口は、駅前大通りである「グリーン大通り」や、サンシャインシティ方面の「サンシャイン通り」ではなく、駅前から南池袋公園に続くグリーン大通りの裏路地に設けられています。日常的に池袋駅を利用していても、この通路の存在を意識する人は少ないでしょう。 通路につながる階段は西武池袋線の改札付近にありますが、手前の西武百貨店付近と比べて古びた意匠で、この先に本当に出入口があるのか不安になります。階段を降りると左手には明治通り沿い、駅前広場南端につながる41番出入口です。 右手に進むと、がらんとした一本道です。途中に40番出入口、行き止まりに39番出入口があり、どちらもビルに接続しています。ただ出入口の増設構想があったようで、1か所だけ連絡口の設置を見越した構造になっています。 ではこの通路はなぜ、何のために造られたのでしょうか。手がかりとなるのは、この通路が単体の地下道ではなく、池袋駅の南側を東西に結ぶ有楽町線のトンネル上に設置されていることです。 有楽町線が建設されるまで、この付近には国鉄、西武、東武各線を連絡する跨線橋がありました。1960年代の航空写真を見ると、東武と西武の間を白い線が結んでいることが分かります。駅中央には丸ノ内線建設にあわせて整備された「中央通路」がありましたが、南側は入場券を買わなくては東西の移動ができません。
苦心した有楽町線のルート選定
ではなぜ有楽町線は、39番出入口のある裏路地を通過しているのでしょうか。地下鉄建設において最も重要な要素は、ルートの選定です。建設費を抑えるためには道路や公共用地を活用し、民地の買収は最小限に抑えます。また、それらの用地は連続的でなければなりません。 もうひとつは駅の位置です。西武線、東武線、丸ノ内線のバイパス路線として建設された有楽町線では、池袋駅構内の通過位置を決めることが最重要課題でした。そこで国鉄、営団、西武、東武で4者間協議を重ね、相互の乗り換えによる混雑緩和、池袋駅の将来構想を考慮して、南側の跨線橋付近に決定しました。 そうなると池袋駅・西武百貨店から東池袋方面は、39番出入口のある裏通りを進まざるを得ませんが、大きな問題が立ちはだかります。当時の地下鉄は全て、路面から掘り下げる「開削工法」で建設されたため、歩道を含めても幅員10m程度の狭い道路を約350mにわたって掘り返さねばなりません。しかも周辺は商店、銀行、ホテルが混在する繁華街です。 また、付近には産婦人科病院があり、その下を有楽町線が通過することになったため、工事期間中の営業休止問題に加え、開通後の地下鉄運行に伴う振動・騒音の影響が大きいとしてルートの変更を強く求められる事態となりました。最終的には病院の移転で決着しましたが、他の沿道のビルなどでも補償や建物移転を行うなど、着工には多くの苦労があったようです。 存在感が薄く、利用が多いとは言えない39番出入口の通路ですが、こうした経緯を踏まえれば、沿道の人々に地下鉄建設のメリットを示すために造られたものなのかもしれません。
枝久保達也(鉄道ライター・都市交通史研究家)