死せるゴルバチョフとエリツィン、生けるプーチンを走らす
ロシア西欧主義の死
超大国ソ連を崩壊させた指導者として、ロシア国内では批判にも晒された晩年だった [2012年11月、自伝を発表した時のゴルバチョフ氏] (C)Evgeny Eremeev/shutterstock.com
ロシアでは18世紀初頭にピョートル大帝が近代化を導入して以降、指導者が交代するたびに欧米に接近する西欧主義と、保守・膨張的なスラブ主義が交互に繰り返された。欧州とアジアにまたがる ユーラシア国家 のロシアでは、西欧主義かスラブ主義かは永遠の哲学論争である。 旧ソ連時代以降も、西欧主義とスラブ主義が濃淡はあれ、繰り返された。革命後、第一次世界大戦を終結させ、領土を割譲したウラジーミル・レーニンは西欧主義、第二次大戦で領土を拡張したヨシフ・スターリンはスラブ主義、米ソ平和共存のニキータ・フルシチョフは西欧主義、軍備拡張のレオニード・ブレジネフはスラブ主義、ソ連解体や親欧米外交を進めたミハイル・ゴルバチョフとボリス・エリツィンは西欧主義だった。2000年に誕生したウラジーミル・プーチン大統領は、ゴルバチョフ・エリツィン外交を反面教師とし、領土拡張を進めた点で、スラブ主義だ。 ウクライナ侵攻最中のゴルバチョフ旧ソ連大統領の死は、ロシアにおける西欧主義、自由主義の死を象徴したが、強引な軍国主義体制が長続きするとも思えない。ゴルバチョフ、エリツィンが残した価値観も生き続けるだろう。
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名越健郎