明治HD「コスタイベ」承認は、化血研不祥事の「貸し」の対価ではないのか
ワクチンと軍の切り離せない関係
どうすればいいのか。もっと歴史的背景を議論すべきだ。我が国のワクチン開発は、厚生労働省による護送船団方式により、国内メーカー数社が独占してきた。その歴史は戦前に遡る。 戦前、ワクチン開発は内務省と縁が深い伝染病研究所(伝研)と、帝国陸軍の軍医たちが主導してきた。その中には悪名高い関東軍防疫給水部(731部隊)も含まれる。 内務省は治安維持のために伝染病の蔓延を防がねばならなかった。1897年に伝染病予防法を制定し、コレラなど8種類の感染症に罹患した人は強制的に隔離した。このような業務を担ったのは衛生警察で、内務省警保局(現在の警察庁)の一部だ。 厚生行政も、その延長線上に存在する。1938年、健民健兵政策、つまり徴兵制度を推進すべく、厚生省が内務省から分離独立したが、「国益のために国民を統制する」という内在的価値観は変わらなかった。患者の人権尊重ではなく、感染者の社会からの排除を優先し、戦後もハンセン病やエイズなどの対応で、人権侵害を繰り返す。 内務省は、伝研と連携し、ワクチン開発にも力をいれた。1910年には種痘法を制定、1938年にはBCG接種を開始している。抗生剤が存在しなかった当時、感染予防のためのワクチン開発は重要だった。 帝国陸軍がワクチンを重視したのは、兵隊を感染症から守るためだ。これは日本に限った話ではない。現在、米国でワクチン開発の中心は、ウオルター・リード米陸軍研究所や米海軍医学研究センターだし、米疾病対策センター(CDC)は、第二次世界大戦後に戦争地域におけるマラリア対策部門の後継機関(MCWA)として設立されたものだ。 現在、世界のワクチン市場はメルク(米)、ファイザー(米)、グラクソ・スミスクライン(英)、サノフィ(仏)の寡占である。第二次世界大戦に勝利した連合国のメンバーで、現在も大規模な軍隊を有している。軍隊が強い国で、ワクチンの研究開発が進むのは、紛れもない事実だ。 戦前、内務省と帝国陸軍が主導する形で、日本は世界をリードしていた。伝研からは北里柴三郎、志賀潔、野口英世など、ノーベル賞候補に挙げられる研究者がでている。 ところが、第二次世界大戦の敗戦によって、事態は一変する。伝研はGHQ(連合国軍総司令部)により解体される。その後継は、現在の東京大学医科学研究所と国立感染症研究所だ。 帝国陸軍は消滅し、陸軍病院は厚生省に引き継がれる。戸山の国立国際医療研究センターは元陸軍病院だ。ちなみに、築地の国立がん研究センターは、元海軍病院である。 このようにワクチン開発に関わる組織は、戦後、GHQが主導する形で再編された。ただ、看板をかけ替えたが、本質は変わらなかった。関係者の多くが免責され、かつての「軍産複合体」の系譜を継ぐ製薬企業や研究機関の幹部として復職したからだ。「軍産複合体」の特徴は、国民の健康よりも、国家の目標を優先することだ。