なぜ金八先生より、ひろゆきの言葉が子供たちに響くのか…「論破したがる子供たち」が塾講師に漏らした本音
■「ひろゆき氏的な指導が効果的」と実感してしまっていた たとえば、一般的に中堅国立大と見なされる某大学にも、工業高校の生徒だけを対象とした試験があります。筆記試験はあるものの、2年生までの数学の基礎的な問題集を頭に詰め込んだ、英検準2級程度の学力を有した生徒であれば十分に対応できます。塾の生徒に至っては、高校入試よりも楽だったという迷言を残し、楽々と合格してしまいました。 中学生当時の彼は平均的な学力しか有しておらず、地域3番手グループの公立進学校でも合格圏外でしたが、戦略的に工業高校に進学することで中堅国立大学に合格してしまったことになります。 3番手グループどころか、1番手グループの地方公立高校の平均的な生徒でも合格は容易ではないはずなのに、彼にとっては「高校入試よりも楽だった」とくれば、いかにもひろゆき氏が推奨しそうな作戦でもあります。 要するに、こういうことです。私は知らず知らずのうちに生徒たちに対して、ひろゆき氏と同様のアドバイスをしていたのです。 金八先生が口にしそうな、熱っぽいアドバイスが生徒の胸を打ちにくい一方、努力をしても勝ち目がないならば非強者なりの戦略で勝負しようという、まさにひろゆき氏的な助言が効果的であることを実感してしまっているのです。 誤解なきよう付け加えると、とりわけ一定の資質に恵まれた生徒であれば、金八先生的なアプローチは今なお効力を失っていません。努力によって道がひらけることを実感できる彼らは、こちらが熱心に語り掛ければ、それに比例するようにきちんと応えてくれます。 ■入試の複雑化で“戦術を練る必要性”が高まっている この受験指導に関する具体例から、コスパが重要視されるもう一つの理由が見えてきます。キーワードは複雑さです。 各大学が用意する入試方式は、年々複雑化する一方です。しかも、ちょっと目を離したすきにコロッと形式が変わることも日常茶飯事であり、とてもではありませんが全容を把握するなんて無理な話です。 国立大学にしても、一般入試の前期/後期・学校推薦型選抜の共通テストあり/なし・総合型選抜の共通テストあり/なし・専門高校専用枠・帰国生徒/国際バカロレア入試などあり、しかもそれぞれの方式において入試科目が異なります。 なかには、入試を準備する大学側のマンパワーが不足しているためか、国立大学でさえ、こんなザル入試でよいのかと首をかしげてしまうような穴場もあります。国立大学だけで、こんな状況です。ここに、入試方式が更に複雑な私立大学を含めた数多(あまた)の大学が加わるので、もはやてんてこ舞いです。今や、入学に至るまでのルートは無数にあるため、自身の適性・将来の目標・経済力といった状況に応じた戦術を練る重要性が必然的に高まっています。