「芝居も文章も、うまさの先にはあまり広い世界はありません」…小泉今日子さんが大事にしている「恩師」の言葉
歌手、俳優、プロデューサーとして活躍する小泉今日子さん(58)の講演会「小泉今日子トークライブ」(読売新聞北海道支社主催)が11月26日、札幌市中央区の共済ホールで開かれた。読売新聞の書評欄「本よみうり堂」で2005年から10年間、読書委員を務めていた小泉さんが、人や本との「出会い」、歌や舞台などに対する思いを語った。来場者らから好評だった小泉さんのトークを詳報する。 【写真】講演する小泉今日子さん(別の角度から)
「小泉今日子トークライブ」詳報<1>
〈第1部は、「私が出会った人~時が過ぎて今~」と題した小泉さんの一人語り。小泉さんが「恩師」と慕う、演出家久世光彦(くぜてるひこ)さん(2006年死去)とのエピソードを中心に語った。小泉さんが読書委員になる橋渡し役も、久世さんだったという〉
久世さんは、「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」といった面白いドラマを手がけていて、私も子供の頃から夢中で見ていました。私は16歳でデビューし、17歳で、「あとは寝るだけ」というドラマで久世さんと出会うことができました。
久世さんの演出は、「アメとムチ」。お芝居が下手だとはっきり「下手くそ」と言い、上手にできた時は、本当に幸せになるぐらい褒めてくれました。もちろん、すてきなことをたくさん教わりました。
あるドラマで、学生役の私が父、姉と3人で朝、駅まで歩くシーンがあり、久世さんは台本にない設定で、「歩く先に空き缶を転がしておいて、今日子が一人小走りで拾ってゴミ箱に捨てるようにしてくれ」と提案しました。「こういう女の子が世の中にもっといてほしい」という思いがあって、私も一人の女の子として勉強させてもらいました。
私が文章を書くようになったきっかけも、久世さんでした。向田邦子さんについて書いたエッセー本の帯の文を考えてほしいと言われ、まだ20歳代の私が書いた拙い言葉をとても褒めてくださって、書くことが好きになりました。
読書委員になるお話も、私と、読売新聞の担当デスクとの間に久世さんが入ってくださいました。会食したとき、私は「書いたものがつまらなかったらボツにしてください」と言い、デスクは「ボツにはしないです」と言って、互いに譲らない。すると久世さんは、私が席を離れている間に、「小泉に『ボツにする』って言ってくれ」とデスクを説得したそうで、話をまとめてくれたんです。久世さんは私の書いた書評が新聞に載ると、毎回、学校の先生の添削のように、ファクスで連絡を下さいました。