【宮崎祐樹連載#40】僕が知っているままの岸田護さんであり続けてほしい
【宮崎祐樹連載 オリのゴリBsを知り過ぎた男(40)】新年、明けましておめでとうございます。連載期間中に年をまたがせていただきました。引き続き、ご愛読いただけますようよろしくお願い致します。 中嶋聡前監督の下、リーグ4連覇と日本一奪還を目指したオリックスでしたが、昨季は63勝77敗3分けで5位。指揮官の退任を経て投手コーチを務めていた岸田護さんが新監督として采配を振ることになりました。12球団最年少だそうです。 岸田さんの地元は大阪府吹田市。履正社から東北福祉大、NTT西日本を経て2005年の大学・社会人ドラフト3巡目でバファローズの一員となりました。ずっと大阪ばっかりですね。引退したのは僕と同じ19年オフでした。 通算433試合に登板し44勝30敗、63セーブ、63ホールド、防御率2・99ってすごくないですか? 僕が入団したころには岡田監督2年目の11年に先発ローテから守護神に配置転換。平野佳寿さんと2人で鉄壁の救援陣を支えてくれました。 岸田さんはいつも笑顔が多い印象ですし、取材陣の皆さんもご存じでしょうけど人当たりのいい人物だと思います。野球でも先発、中継ぎ、抑えでバランス良く結果を残されてきました。球場外でも人としてのバランスも良く、頭のいい人だなという印象を持っています。 どの立場でモノ言ってんだ?と思われるかもしれないですが、僕の希望は岸田護さんが僕が知っているままの岸田さんであり続けてほしいなってことです。チームを任されている監督です。立場もあるのでヘラヘラしてられないのは当然でしょう。でも、岸田さんには変わってほしくないなと思っています。 社会的な肩書とその人自身が持つ器のバランス。これは野球の世界でも一般の世界でも難しいと思うんです。一代で築き上げた創業オーナーだからとか、雇われ社長だからどうとかじゃないんです。 僕が偉そうに言うことではないですが、監督になっても自分の芯にあるものだけは変わってほしくない。選手、コーチとしてもいろんな苦難、経験を重ねられた岸田さんなら大丈夫と思っています。いつも陰ながら応援させていただいております。 そういえば、一軍バッテリーコーチには山崎勝己さんが入られてましたね。山崎さんは実は僕が引退して次の職を選択する際に、すごく理にかなったアドバイスをしてくれた方なんです。ここで名前が出てきたので、そのお話もさせていただきます。 勝己さんに言われた言葉というのは「焦って次いくなよ。少しでも蓄えがあるなら、1年くらい勉強していろいろな違うことも経験し、そこで初めて仕事を決めるくらいでいいと思うぜ」というニュアンスでした。 その時に、なるほどなと思ったんです。目の前の利益やおいしい話に乗ると足をすくわれる可能性だってある。職に関して焦ってしまっているような自分を見せる必要はないと。山崎さんがいいこと言ってくれました。その直後くらいですかね。現職に関する面談を行ったのは。 節目、節目でいろんな方々に良い影響を与えていただいて自分はラッキーだなとつくづく感じますね。今年も感謝の心を忘れず連載、務めさせていただきます!
宮崎祐樹