中越地震から20年 “全村避難”した住民と村長の“交換ノート”に綴られた葛藤 『村に戻るか、村を出るか』苦渋の決断をした住民の今の思い
山古志の復旧・復興目指す中…“村を出る”議論も
長島村長は毎日欠かさずノートを確認し、住民と気持ちを合わせるよう一つ一つメッセージを返した。 そして、長島村長は「私たちはあのふるさとを愛しています。そして、先祖から受け継いだあの地に帰りたいと願っています」と決意を語っていた。 その後、仮設住宅に入っても何度も話し合いを重ねた住民たちは「帰ろう山古志へ」というキャッチフレーズの下、山での生活を取り戻すことを目指した。 一方で、長島村長とともに復興業務にあたった元山古志村幹部の青木勝さんには同時に「ある懸念」もよぎっていたという。 「“帰ろう山古志”でそれはやりますよ。だけど、山古志に金をかけるのももったいないから、みんな出ればいいという議論が当時からあった。我々が一番恐れたのは、そういう議論が主流になったら山古志の復旧・復興はないという、ジレンマみたいなものはずっとあった」
地震から20年…迷いながらも下した決断に「悔いはない」
あれから20年…今年発生した能登半島地震でも中山間地の復興のあり方が問われる中、山古志の人口は約720人と地震前と比べ、3分の1に減っている。 この日、竹沢集落では恒例の夏祭りが開かれ、神輿が地域を回った。 参加する住民は年々減っているものの、地震をきっかけに毎年、ボランティアとして訪れている東京の学生が今年も参加。 学生は「近隣同士のつながりがすごく残っている。一人ひとりのパワーがすごくある地域だと思ったし、来てよかった」と話す。 復興を遂げた地域に魅力を見出し、様々な形で関わる人がいる。そして今、住民からはふるさとに戻った選択を後悔する言葉は聞こえてこない。 星野サツ子さんは「ここでしか生きる術を知らなかったのもあるかしれない。ここだったらなんとか生活できるなと。なるようにしかならない。そう思っているだけ。自分の考えでしたことには悔いがない」と話し、吟二さんも「かえって地震後は団結力が強くなったのではないか。前向きになって、一日一日を楽しみながら過ごしている」と語った。 山古志で暮らす住民には20年前、迷いながらも最終的に自分たち自身で考え、決断したからこその思いがあった。 (NST新潟総合テレビ)
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