親不孝介護のススメ 誰のために介護するのか
介護は家族が担うもの、という意識が根強くあります。「親不孝介護」の著書がある、NPO法人「となりのかいご」代表理事の川内潤さんに聞きました。【聞き手・須藤孝】 【写真】東京・浅草で「家族と外出」する高齢者 寄り添うのは… ◇ ◇ ◇ ◇ ――自分がやらなければと思ってしまいます。 川内氏 長く相談を受けていてたどり着いた答えがあります。 まだ親が元気な段階で、何が本当に親のためになるかを1回、考えておくことです。一度どっぷり親の介護にはまってしまうと、難しくなります。 私は訪問入浴介護の仕事をしていました。自宅で、厳しい介護状態にある人をたくさんみました。 人工呼吸器を付けていたり、糖尿病が悪化して足を切断していたり、そこには自分のキャリアをあきらめて、お父さんお母さんのために一生懸命介護をしている息子さん、娘さんがいました。 その気持ち、行動そのものは、おおよそ、称賛されるべきです。けれども、最善の介護かといえば、そうではありません。 入浴介護なので、体のあざを見ることもありました。どんなにがんばっても、そうなってしまったら、よい介護とはいえません。 ――「親のため」です。 ◆厳しい言い方をすると、本当にそれが父のため、母のためになっていますか、自分の不安を解消するためになっていませんか、ということです。それを見極める余裕がないまま、やってしまっているのです。 ――例を挙げていただけますか。 ◆父親の介護をしている母がつらそうだ。母を助けてあげたいというような相談があります。 本当は、助けるとはどういうことか、お父さん、お母さんのためになるとはどういうことか、現在、お母さんはどれぐらい外部のサービスに頼ることができているかなどの現状把握が必要です。 ところが実際はまず、行ってなんとかしてあげることが先に立ちます。感情的になってしまう方が多い。すぐに仕事を調整したいとおっしゃいます。でもこれは相談の仕方が違います。 「行ってどうするんですか」「何をするかイメージはありますか」「どのくらい休めばめどがつくと思いますか」と聞いていきます。するとやっと落ち着いてきます。 近くにいることが介護だと思い込み、思考が止まっています。 ――「親不孝介護」を提唱されています。 ◆「自分は親不孝で申し訳ない」と言っている人の方がむしろよい介護になっていることが多いのです。 我々のように専門職の知識と経験と技術があっても、自分の親の直接の介護はできません。自分でやろうとする方は、それぐらい難しいことをしようとしているのです。 家族が近くでやれば、なんでもしてあげることになります。お父さんから、リモコンをとって、と言われればとってあげます。するとすぐにペットボトルのふたも開けられなくなります。 親子関係も崩れます。年に1、2回しか会っていなかったのが、毎日会うようになるだけで大変です。「自分がこれだけやってあげているのに、何で言うこと聞いてくれないのか」とか、「なぜ自分が一生懸命作ったご飯を食べてくれないんだろう」となります。 ――どのような介護か、ということですね。 ◆24時間365日ひたすら頑張って介護して、お母さんからは、いつもシャンプーの匂いがして、髪の毛もふけ一つなくて目やにもついてない。自宅で寝たきりのお母さんを介護していると普通、こんなに奇麗なことはまずないのです。 でも息子さんはお母さんが朝、目を覚ますのがすごく嫌だと言うのです。地獄の1日がまた始まると思うそうです。これをよい介護と表現してはいけないと思います。親が長生きすることを喜べなくなっているからです。 介護がどんな状態であっても、親の長生きを喜べるなら、それだけでよい介護ではないでしょうか。 ――家族にしかできないこともあります。 ◆1人の男性として女性として、父母がどういう人だったかということを考えるのは家族にしかできません。支援する私たちも家族に伝えてもらって、ではお父さん、お母さんにとってどんな生活がいいかを一緒に考えます。 この話をする余裕がなくなることが一番いけません。どういう人かわからないけど、とにかくおむつ交換が必要だ、となってしまうとなんのための家族か分からなくなります。 父や母が老いていく姿を受け入れて、それを自分の生活の糧にする。これは家族だからできることです。(政治プレミア)