「高市幹事長もアリだ」という田崎解説はどこまでファクトに基づいているのか
「幹事長職を求めるのもわかる」
政治ジャーナリストの田崎史郎氏といえば、特に政権与党に深いパイプを持ち、独自の情報を披露することで知られている。そのわかりやすい語り口もあって、今回の自民党総裁選についても、テレビ局に引っ張りだこの存在だ。 【写真をみる】「メッチャ美人!」の声続々 石破氏が大学時代に“一目惚れ”した妻・佳子さんの秘蔵写真
石破茂新総裁誕生に関連しても、独自の情報や見立てを語っているが、その一つが「高石早苗氏が総務会長ポストを断った」ことに関するものだろう。 巷間伝えられているところによれば、総裁選で決戦を争った高市氏に対して石破氏側が総務会長ポストを打診したところ、高市氏は「幹事長以外は断る」という姿勢を見せたのだという。 総裁選中は、いずれの候補者も「総裁選後はノーサイド」的な物言いをしていたはずなのだが、少なくとも高市氏の考える「ノーサイド」と石破氏のそれとは意味が異なったのかもしれない。 この高市氏の判断に対して、田崎氏は一定の理解を示している。複数のメディアで彼が語っているのは次のようなことだ。 「2012年の総裁選で勝利した安倍元首相は、決戦で争った石破氏を幹事長にした。その意味では高市さんの言うこともわかる」
過去の決選投票後の処遇は
田崎氏のようなベテラン記者がこのように述べると、事情をよく知らない視聴者やコメンテイターは「そういうものかな」と思うかもしれない。また、こうした見方に対して激しく同意するコメントもSNS上には数多く見られる。それだけ高市氏への期待は高かったのだろう。 しかし実際に自民党総裁選にそのような慣例や暗黙の了解があったのだろうか。 当選者が圧勝したケースはあまり参考にならないので、決選投票にまで進んだケースを見てみよう。 最初に決選投票が行われたのは1956年、第3回総裁選挙。決戦では石橋湛山と岸信介が争い、石橋が勝利。第1回投票では岸が勝っていたというから、今回の総裁選とも似ている。この時、石橋は岸の要望を飲み、外務大臣に就任させている。 次に決戦が行われたのは、1960年。決戦で圧勝した池田勇人は2位の石井光次郎を通産大臣に任じている。 その次は1972年。田中角栄と福田赳夫の争いで、田中が圧勝。福田は無役となる。