佐藤優が考察する「村上春樹」作品 『騎士団長殺し』『街とその不確かな壁』で何を描いたのか?(レビュー)
村上氏の作品については、日本よりもヨーロッパ、アメリカ、ロシア、イスラエルなどでの方が真剣に議論されているように私には見えます。日本でも『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』などについては、文壇や論壇でよく議論されたと思います。 それが、430万部を超える大ベストセラーになった『ノルウェイの森』以降、様子が変わってきました。大ベストセラーを嫌う文芸批評家の気分(多分に嫉妬があると思います)とともに文壇、論壇の構造変化があると思います。日本でも欧米やロシアでも小説家が作品を書き、文芸批評家がそれを論じることによって、小説家が意識していない意味を見出し、深みを持って作品を解釈する作業が行われてきました。そして、その解釈は文壇だけでなく、論壇にも及びました。 21世紀の今日、作家と文芸批評家の相互作用は非常に細くなっています。文壇と論壇の関係も薄れています。また、文芸批評家としての潜在的能力の高い哲学者や社会学者は、批評ではなく、自ら小説を書き、自らの思想を直接、読者に提示するようになっています。しかし、批評を欠いた表現だと外部が欠けてしまうので、他者との触発が生じません。そのため思想が閉塞していきます。 このような状況を打破したいと思って、私はこの10年間、村上作品の読み解きに従事してきました。 私の基礎教育はプロテスタント神学ですが、大学院を修了した後は、外交官になり、対ロシア外交とインテリジェンス(特殊情報)を専門としていました。この世界で私は悪の実在を皮膚感覚で知ることができました。ウクライナ戦争、ハマスによるイスラエル攻撃で、悪が顕在化しています。第3次世界大戦が勃発する危機に人類は直面しています。このような状況から抜け出すためにも『騎士団長殺し』の解釈を通じて、悪を克服する方途について深く考える必要があると思います。そして最後に、村上氏の作品で最も神に接近したと言っていい『騎士団長殺し』の後、今年(2023年)刊行された『街とその不確かな壁』では氏が何を描こうとしたのかについても論じました。 これまでの私の読者とは違う、村上作品の愛読者をはじめ、小説好きの方々からの反応を楽しみにしています。 本書「まえがき」より構成しました。 [レビュアー]佐藤優(作家・元外務省主任分析官) 1960(昭和35)年生れ。1985年、同志社大学大学院神学研究科修了の後、外務省入省。在英日本国大使館、ロシア連邦日本国大使館などを経て、1995(平成7)年から外務本省国際情報局分析第一課に勤務。2002年5月、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕。2005年2月執行猶予付き有罪判決を受けた。同年『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて』で毎日出版文化賞特別賞を受賞した。主な著書に『自壊する帝国』(新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞)、『日米開戦の真実―大川周明著「米英東亜侵略史」を読み解く』『獄中記』『国家の謀略』『インテリジェンス人間論』『交渉術』『功利主義者の読書術』『外務省に告ぐ』『紳士協定―私のイギリス物語』『いま生きる「資本論」』などがある。 協力:新潮社 新潮社 波 Book Bang編集部 新潮社
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