「社会に貢献したい」戦争で手足を失ったウクライナ兵たちの新たな挑戦 義足のリハビリ、車いすバスケ「何かできるという気持ちが心を落ち着かせる」
2016年のリオデジャネイロパラリンピックで金メダルを獲得、東京パラリンピックでも入賞した車いすフェンシングのウクライナ代表、アンドリー・デムチュクさん(35)は「喪失感を味わう負傷者にとって、新たに何かができる、何かで成功できるかもしれないとの気持ちはとても大切で、精神を落ち着かせてくれるんです」と指摘する。先天性の動静脈奇形により18歳で右足を切断したが「フェンシングが人生を変えた」と振り返る。現在、ウクライナ軍病院で負傷者に自身の経験などを伝える活動をしている。 ▽「スポーツで気持ちは別人に」 「負傷した身体自体は変わりませんが、気持ち的には別人になりました。同じ境遇の仲間と汗を流すと、とてもリラックスします」。キーウの体育館で実施されたインビクタス・ゲームズの車いすバスケットボールウクライナ代表の公開練習で、セメン・ラグンさん(26)が競技を始めてからの自身の変化を語った。 従軍中の昨年8月、ドネツク州マリンカで地雷を踏み左足を負傷した。「ロシア軍の激しい攻撃で、地雷に気を配る余裕はありませんでした」と振り返る。切断は免れたが神経を損傷し、歩けるものの、走るのは不可能になった。
転機が訪れたのは今年4月。リビウで偶然、車いすバスケの試合を目撃した。学生時代にバスケの経験があった。楽しそうにプレーする選手たちの様子を見て挑戦を決めたと笑顔を見せる。 ラグンさんは負傷した当初「足を切断すれば義足を着けて早く前線に戻れるのではないか」と考えたという。しかし、今は足を切断しない選択をした医師に感謝する。「代表チームに選ばれたことで、今はウクライナのために何かできるという喜びを感じています。ドイツでは多くの人に出会うと思うんです。これまでのさまざまなウクライナ支援に感謝の気持ちを伝えてきます」