『まんぷく』萬平のモデル・百福は91歳で「宇宙食」の開発を思い立つが…「子どもの教育に注力を」遺言のように書き残した年賀状の内容とは
◆元気に生きて、元気に死にたい 2007年1月5日、百福は九十六歳の生涯を閉じました。 元旦を家族と過ごした後、2日には宏基(次男)ら会社の幹部とゴルフに興じました。4日、日清食品大阪本社の初出式で、三十分間、立ったままで年頭訓示を行いました。昼食には社員と一緒に小餅の入ったチキンラーメンを食べました。翌日、心筋梗塞で倒れたのです。 百福はずっと、「誰の世話にもならず、元気に生きて、元気に死にたい」と言っていました。その言葉どおり生涯現役、見事に理想の人生をまっとうしました。 告別式で、宏基はこう述べました。 「母にとって、父はずっと実業家で仕事一途の人間でした。いつか家庭人になってほしいと思っていたはずですが、残念ながらかないませんでした」 そして、自著『カップヌードルをぶっつぶせ!』のなかで、 「父は、男としてこれだけ波瀾万丈の人生を生きたのだから、さぞ悔いのない人生だったことだろう。気の毒なのは母である。こんな浮き沈みの激しい人生につき合わされてはいい加減に愛想が尽きるというものである。そこを一切表に出さず、いつも、まあいろいろありましたから、の一言で笑い飛ばし、最後まで連れ添った母は立派である」と称賛しました。
◆最後の年賀状 百福、最後の年賀状 謹賀新年。 昨年を振り返りますと、毎朝、目がさめるたびに、何かしら世の中に信じられないようなことが起こっていて、心が安まるひまのない一年でした。日本中に自然災害が吹き荒れ、子どもの虐待や責任ある立場の人の不祥事などが相次ぎました。生活格差に対する不満も広がり、目を覆いたくなるような心の荒廃が進んだ年のように思えます。わたくしはすべての大人の責任において、これから十年間、本気で子どもたちの教育に力を注げば、日本を再び美しい国にすることができると信じています。 どうか皆様におかれましては、今年こそ心おだやかで、幸せな一年であることをお祈り申し上げます。 平成十九年元旦 安藤百福 百福はこの年賀状を遺言のように書き残し、平成十九年一月五日に亡くなりました。
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