「95%大丈夫」と言われた1週間後に乳がんが判明「頭が真っ白になって病院のベンチで元夫に電話して」園田マイコが経験した5年間の闘病生活
病院を出てから、ベンチに座って、前もって事情を伝えてあった元夫に電話をしました。話しているうちに感情が高まり、涙がどんどん溢れてしまい…。ひと通り泣き終わって、やっと少し落ち着くことができましたが、あのときは本当につらかったです。 ── 息子さんにも病気のことは伝えたのでしょうか? 園田さん:当時、息子は中学2年生でした。元夫がすぐに息子に病気のことを伝えてくれ、支えてあげてほしいと言ってくれたようです。ちょうど反抗期だったのですが、私の病気のことを知った後は、反抗期前の息子に戻ったような気がしました。面と向かってなにかを言うわけではありませんが、掃除や片づけなど、自分にできる家事を手伝ってくれていましたね。
■サードオピニオンで温存治療をすることに ── 診断後、すぐに治療を開始したのでしょうか? 園田さん:診断してくれた先生もいい方だったのですが、可能性をもう少し探りたいと思い、事務所のマネージャーに紹介してもらった別の病院でセカンドオピニオンを受けました。親身になってくれるとてもいい先生でしたが、やはり全摘出するのがいいという診断でした。しこりが見つかったのが秋で、このころにはもう年末になっていたのですが、全摘出はモデルの仕事への影響もあるので、なかなか決心がつきませんでした。
そのときに元夫の母から、もうひとつ病院を紹介してもらったんです。サードオピニオンのためにその病院を年明けに訪れたのですが、私がベッドで寝ていたら先生がカーテンをすっと開けて、笑顔で「大丈夫ですよ~」と本当に優しく声をかけてくれて。その瞬間にすごくホッとして、「あ、この人にならすべてを任せられる」と直感的に信じることができました。まさにインスピレーションという感じでしょうか。この先生が決めた治療方針であれば、絶対に納得できると思えたんです。
── 納得できる先生に出会えたのですね。 園田さん:そうですね。そこで再度検査をしてもらった結果、全摘出でも温存でも結果は変わらないので、それならば体への負担が少ない温存治療にしようということになり…。まさかそのような治療法を提案してもらえると思っていなかったので、逆にリスクはないのかと不安になって、いろいろと質問してしまいましたね。 そこからは手術でしこりを取り除き、抗がん剤治療、放射線治療、分子標的治療、ホルモン療法を行いました。トータルで治療期間は5年ほどでしたが、すべての治療が終わったときには「やっとトンネルから抜けられた、頑張った!」という気持ちでした。