元総務省官僚、45歳でお笑い芸人へ 支離滅裂でも確固たるキャリア観
総務官僚という芸人としては異色の経歴を持つ、元官僚芸人まつもと氏。2023年に松竹芸能の養成所を卒業し、プロデビューを果たしたばかりだが、その時すでに45歳。かなりの遅咲きと言っていいだろう。養成所時代に結成した漫才コンビ「イエスマン」として活動していたが、24年3月に解散。今は特定の相方とコンビを組むのではなく、複数人とユニットを組む形で活動している。 【関連画像】お笑いコンビ「イエスマン」として漫才をするまつもと氏(左)。2023年のM-1グランプリで3回戦まで残った(写真提供=松竹芸能) 社会問題をネタに漫才をするのが売りで、「芸から最も遠い場所にいる元官僚が芸をやっている」面白さで勝負する。だから芸名も分かりやすく「元官僚芸人」まつもとなのだ。 養成所時代から漫才コンクール「M-1グランプリ」に挑戦しており、2023年には自身最高の成績となる3回戦まで残った。出場者8500組から約350組にまで残ったのは、デビュー1年目としてはかなりの好成績。まつもと氏は「面白さだけで3回戦まで進めたわけではない。綿密なプロジェクトマネジメントと戦略あってのことだった」という。 「複数の放送作家や漫才の先生に自分が書いたネタを見てもらって直してもらうんです。そして掛け合いの『間』も、漫才の先生にやって見せてもらい、それを徹底的にまねしてひたすら練習するのが僕のスタイル」。通常、芸人たちは自分たちが面白いと思うものにこだわってネタを磨き上げているが、それが必ずしも観客にウケるわけではない。まつもと氏の場合、何が観客にウケるのかという答えを知っている先生に先にアプローチしてそれを再現する。 まつもと氏はM-1グランプリの出場においても異彩を放つ。実はM-1はメンバーを変えれば一度の開催中に何回でも出場できるというルールがある。だが、普通の芸人は1回しか出場しない。「私は複数人の相方と組むことで、2023年は4回出場しました」とまつもと氏は笑う。年に一度の開催中に1回しか出場しなければ、その失敗への対策を試すのは翌年になってしまう。だが、4回出場するなら、単にチャンスが4倍に増えるだけでなく、失敗への対策と効果測定をその年のうちにできる。 このアプローチ方法は、まつもと氏の官僚時代の経験に加えて、コンサルタントであったことが大きい。「芸の世界も、いかにPDCAを早く回すかが大事」とまつもと氏は明言する。「この方法で準々決勝までは進めるのではないかと思っているので、今年も挑戦するつもりです」と、至って本人は真面目だ。 ●就職活動に失敗、理系のふりをして大学院に進学 まつもと氏は1978年、徳島市に生まれた。しかし、徳島市で過ごした期間は短く、幼少期はNHKに勤める父親の転勤とともに、全国を転々としながら過ごしたという。「子どもの頃は真面目な性格で、よく人の顔色をうかがっていた」というまつもと氏。学期の途中で転入し、すでに出来上がった集団に後から入ることが多かったために、空気を読むのが上手になっていったのだろう。 その後、京都市の中高一貫の進学校に進んだが、優秀な同級生の中でついていくだけでも必死。現役で4割が京都大学に合格するような環境の中で、2年浪人して京都大学に進学した。「京大を選んだことに特別な理由はなく、みんなと同じ道に進みたいと思った」とまつもと氏は話す。 ところが、大学時代は家にひきこもり昼夜逆転の生活を送ることになる。インターネット掲示板「2ちゃんねる」の全盛期で、夜な夜な長文で議論したり、ゲームをしたりして過ごしていた。「サークル活動や恋愛など、華やかな大学生活とは無縁でした。そんな自分にうんざりしながらも、なかなか抜け出せなかった。その後、大学院にまで進学するのですが、高校から大学院までは、なかなか思うようにいかないなと鬱屈した思いをずっと抱えていました」。