元総務省官僚、45歳でお笑い芸人へ 支離滅裂でも確固たるキャリア観
保険があるから、安心して挑戦できる
事業会社で働きたいと考えていたまつもと氏だが、転職活動で官僚の経験を買ってくれたのはコンサルティング会社だった。大企業の経営コンサルティングを担当した後、ベンチャー企業に転職したり、知人とともにアニメーションの制作会社を起業したりしたがうまくいかず、またコンサルティング業界に戻った。 お笑い芸人になろうと考えたのは、2019年のことだ。 「官僚を辞めた後、仕事を転々としてきました。40歳を過ぎた頃から、自分には明確な強みがないことに焦りを感じるようになります。これからどのように自分の色を出していこうかと考えたときに、これまでの延長ではなく、まったく違う新しいことをしたほうがいいのではないかと思ったんです」 農業などいくつか選択肢を考えていた中で、ふとテレビに映る「〇〇芸人」という肩書が目に留まった。お笑い芸人の中でさまざまなカテゴリー分けがされる中で、元官僚芸人は聞いたことがない。切り口として面白いのではないかとふと思った。特にお笑いが好きだったわけでもない。 「今思えば笑い話ですが、M-1グランプリで漫才コンビの皆さんが披露するつくりこまれたネタを見たときに、これは作文だな、と思ったんです。作文ならこれまで山ほど書いてきた、任せろと思って。結果、後で痛い目に遭うのですが(苦笑)」 2019年に松竹芸能の養成所に入り23年にプロデビュー。ところが、デビュー当時勤めていた外資系コンサルティングファームのボストン・コンサルティング・グループでは、社員がメディアに出演することが禁止されていた。今後の活動を広げるために退職。24年7月にコンサルティング会社を起業した。 芸人を志してからフルタイム勤務の正社員を続けてきたが、「芸人活動に力を入れたいので、もう少し自由が利く働き方に変えたいと思った」と言う。これまでとは違う立場にはなるが、今後も、コンサルティングの仕事はずっと続けていきたいと考えている。 「僕の芸人としての特徴は、元官僚であり現在コンサルティングの仕事をしている人が芸をしていること。単に面白さだけで言えば僕より面白い人は山ほどいるので、この特徴がなければ、芸人の世界で生き残っていくことはできません。一方で、コンサルティング業においても個人の特徴を出していくことが求められています。名が売れることでコンサルタントの世界でも生き残りやすくなります」 よほど能力がない限り、1つの世界で秀でることは難しい。複数の柱でまったく違う立ち位置をつくり、掛け合わせることで、どちらの世界でも生き残っていくというのがまつもと氏の戦略だ。 大きな夢を追う場合、退路を断って挑戦する美学もある。もう戻る場所がないからこそ本気になれるし、成功確率も高まるという考え方だ。しかし、まつもと氏はその正反対で、「保険をかけておくから挑戦できる」と言う。 「挑戦の際に退路を断つ方法は、性格的に僕には向いていません。コンサルティング業という保険があるから、芸人に挑戦することができたと思っています」 転職も同じことだと言う。転職はやはりリスクが大きく、新しい組織になじめない可能性もある。大事なのは、うまくいった場合とダメだった場合の両方の選択肢を考えておくこと。ダメだったときの道筋が見えてから動いたほうが、失敗は少なくなる。 「僕は就職氷河期世代で、就職活動も就職してからも、苦労ばかりでした。だから、こうして自分なりの生きていく術を身に付けてきました」 とても冷静に、自分自身すらも「俯瞰して」見ているまつもと氏。コンサルタントとお笑い芸人、2つの領域で自分だけの「色」を打ち出していく。
尾越 まり恵