「おおさか維新の会」結成を表明 橋下徹氏ら会見全文1
1人の人間のできることなんて限られてますから
司会:よろしいでしょうか。続きまして。 ──大事な点なのでちょっとお聞きしておきたいんです。橋下さんにお聞きしたいんですが、5月の都構想の投票の時点と、ずいぶん情勢が変わったと思います。あの時点ではまあまあすっきりした表情で、12月をもってっていうことをおっしゃってましたけども、今日これだけ、この地方からっていうことを打ち出されて、で、ダブル選挙も当然戦われるわけですけども、その時点で市長を辞められると思うんですが、その後、この地域に密着したおおさか維新の会というこの政党に対して、市長を辞められたあとも当然関わりを持っていかれるというふうに、これ有権者は考えていいんでしょうか。 橋下:いや、それは政治的には関わりません。これは繰り返しになりますけども、5月17の住民投票のあと、いろいろ質問を受けましたけどもね、1人の人間のできることなんて限られてますから。で、僕は8年間やって、そりゃ、橋下、お前のやってきたことはもう十分じゃない、全然仕事をしてない、そういう意見、いろいろあるかも分かりませんが、僕は僕なりに、自分では手を抜くことなくやってきたつもりです。評価は有権者に委ねますけれども。 で、大阪都構想にもチャレンジをして、大阪都構想についてもいろいろね、ご意見ありますけども、これは東京都制だってね、最初に帝国議会に出されたのが1895年。明治28年ですか。そして東京都制が成立したのが1943年。実に48年間、時を経て東京都制が成立したわけです。で、そのあとに、東京都の中のいわゆる特別区が地方公共団体にきちっと位置付けられたのは2000年ですよ。これ、初めて東京都制が帝国議会に上程されたのが1895年で、そして東京という形がある程度完成したのが2000年。105年の時間がかかってるわけです。 で、こういう話をね、1人の人間である僕が全部、自分1人でできるわけがありません。大阪都構想のなんとか設計図というものを、住民投票で否決はされましたけども一応完成はさせた。そしていろいろ大阪府政、大阪市政の改革をやって、そして大阪維新の会も、地域政党の大阪維新の会も、最初は府議会議員6名からスタートしたところ、今や地方議員が200名ぐらいになり、そして自民党や民主党や公明党、共産党、既存の政党全部を相手にしてでも、中核市の市長選挙に勝てるぐらいの政治グループになったわけです。 そして今回、さらに国の形を変えるためにね、地方分権型の国の形にする。大阪をきちっと副首都にしていく。そのために今度は国政政党、このおおさか維新の会の中に、国会議員団を擁する、そういう国政政党をつくる。ここまでやったらね、僕はもう有権者の皆さんが何を言おうが、自分としては政治家としての仕事、ここで自分では納得しています。ですから、12月の18日をもって、この大阪都構想の設計図、否決はされたけども設計図は完成させて大阪維新の会を立ち上げ、国政政党のおおさか維新の会をつくったところでね、政治というものはきっぱりそこで終了と考えております。