「外国人労働者受け入れ反対」「鎖国派」 歴史教科書だけではない「西尾幹二さん」が貫いた考え
35年前の“先見の明”
西尾幹二さんといえば、独自の歴史教科書作りを進めた保守派の論客として、まず紹介されることが多い。 【写真をみる】辻井喬さんとの対談ショットも 「西尾幹二さん」貴重な30年前の姿
だが、その名が広く知られるようになったのは、1980年代後半、外国人労働者の受け入れに反対を表明した時だ。当時、好景気による人手不足で、不法滞在の外国人が就労するケースが増えていた。 西尾さんは、彼らを日本の労働力に組み込めば、依存する状況がやがて固定化され、日本人が避けるきつい仕事を押し付けることで“階級社会”も生まれると唱えた。そして言語、宗教、日常習慣のような違いが許容限度を超えると日本人との摩擦も起こると懸念した。かつて留学した西ドイツでの体験を基に、目先の経済合理性のために日本が余計な災いを背負う必要はないと警句を発したのだ。 現在生じつつある問題を約35年前に西尾さんは明確に捉えていた。だが当時、経済大国となった日本は、外国の失業者の救済という人道面も考慮して責任を果たすべきだとの意見が大勢を占めていた。 作家の石川好さんと月刊誌の対談で論争し、討論番組「朝まで生テレビ!」では“鎖国派”として孤軍奮闘。国際化で文化の多様性が深まるとの楽観論に抗し、後世に禍根を残すと主張して一歩も譲らなかった。 長年親交があった評論家の宮崎正弘さんは振り返る。 「西尾さんは欧米を基準に置いたり賛美したりしません。日本が異質な存在だとも考えなかった。観念的で詭弁を弄する人を許さない姿勢が一貫していました」
「過去」と「歴史」は別物
35年、東京生まれ。東京大学文学部に進み大学院を修了。ニーチェなどドイツ思想を研究し、65年から67年にかけて西ドイツに留学。この経験を基にした論考は三島由紀夫に称賛された。ニーチェ研究を専門とする一方、福田恆存に師事し文芸評論でも活躍。外国人労働者問題で時の人になる。 「ニーチェ研究が根底にあった。徹底して調べ、現実逃避をせず本質に迫ろうとしていた」(宮崎さん) 97年、「新しい歴史教科書をつくる会」の設立に関わり、初代会長に就任。従来の歴史教科書の記述が日本をおとしめる“自虐史観”に陥っているとして、実際に教科書作りを始める。同会の委嘱を受けて西尾さんが99年に上梓した『国民の歴史』は70万部を超えるベストセラーとなった。 もはや動かない「過去」と、人の心の動きによって変わって見える「歴史」は別物と考えた。日本の戦争は短い時間の幅で捉えず、数百年にわたる世界の出来事の中に置いて考察しなければ理解できないと語り、単純で一方的な「歴史」観に異議を唱えた。