「外国人労働者受け入れ反対」「鎖国派」 歴史教科書だけではない「西尾幹二さん」が貫いた考え
自分が考え抜いたことを基準に
大阪大学名誉教授の加地伸行さんは思い返す。 「時代の流行や気分で発言する人ではありませんでした。左翼が大手を振っていた時代に彼らの幻想や空理空論に全く同調しなかった。保守派とひとくくりにされましたが、自分が考え抜いたことに基準を置き続けた」 つくる会が作った歴史教科書は検定に合格したが、内紛から西尾さんは2006年に離脱。その後も言論活動を続け、時には自民党や皇室も容赦なく批判した。 「講師を呼び議論する勉強会“路(みち)の会”を90年代半ばから主宰していました。好奇心の塊で、自分と異なった意見、初めて聞く意見に異様な興味を示す。居酒屋でも議論が続いた時には、割り箸の袋にメモを書き留めていましたね。何げないことから考えを深める構想力の持ち主です。よく喋り、カラオケでは小学唱歌を歌っていました」(宮崎さん) 近年は膵臓がんを患うが回復し、今年『日本と西欧の五〇〇年史』を刊行した。 11月1日、89歳で逝去。 自由とは自らが最大の価値と信じるものを選び取り、引き受けるという決断のために存在する。自由への覚悟はあるか、と晩年も日本人に対して問いかけていた。
「週刊新潮」2024年11月14日号 掲載
新潮社