まだ、何も終わっていない――甲子園が「消えた」夏、それでも戦うことの意味【#コロナとどう暮らす】
その様子は、聖光学院の選手のあるべき姿として、新入生の胸にも深く刻まれた。1年生の赤堀が言う。 「3年生の先輩たちは、自分たちの前では、暗い顔は見せませんでした。カッコいいなと思いましたね」 甲子園の中止が決まり、さまざまな人の、さまざまな言葉が報道された。横山が振り返る。 「いろんな人が『甲子園がすべてじゃない』って言ってたでしょ。その言葉を聞くたびに、そんなのは慰めにも何にもならないって思ってましたね。僕らも同じことを選手によく言ってたんです。でも、甲子園があるから言えたんです。甲子園がなくなって言っても、それはきれいごとにしかならない。じゃあ、どうすればいいか。指導者は、甲子園以上に価値あるものを提示してやるしかないんですよ。うちらは、どこよりも気持ちであるとか、考え方を大事にしてきたという自負がある。だから、こんなときこそ、甲子園があったとき以上の気持ちで高校野球をやり切る。それしかない。今ほど指導者の力量が試されているときはないんじゃないですか。甲子園はなかったけど、聖光で3年間できてよかったって言って欲しい。でないと、僕らの負けになりますから」
弱いまま卒業したくない
福島県高野連は5月29日、臨時会議を開き、県独自の代替大会を無観客で7月から8月にかけて開催することを決めた。東北地区高野連も東北大会の実施を決定した。横山はホッと胸をなでおろす。 「よかった。あるとなしとじゃ、ぜんぜん違う。なくなったら、本当にどうしていいかわからなくなっちゃうんで」 今年の3年生は、昨年の秋季大会を初戦で敗退している。しかもコールド負けだった。 春季大会は開催されなかったため、彼らは公式戦をまだ1試合しか経験していないのだ。主将の内山は自分たちなりに考え抜いた戦うことの意味について、こう話す。 「秋は相手に負けたというより、自分たちに負けた。その弱さを克服しようと、冬、がんばってきた。夏、花を咲かせようと。今、やめてしまったら、弱いまま卒業することになる。弱さを克服することは、甲子園がなくてもできると思うんで」