まだ、何も終わっていない――甲子園が「消えた」夏、それでも戦うことの意味【#コロナとどう暮らす】
この2月、政府は新型コロナウイルスの感染拡大を受け、全国の小中高校へ3月2日から春休みまでの臨時休校を要請した。聖光学院は111人の部員のうち、寮生は87人で、そのうち50人が県外生だ。寮生を家族の元に帰すことも考えたが、最終的には寮に残し、全体練習を継続した。感染者の多い関東圏や関西圏に選手を帰すリスクを考えたうえでの判断だった。 しかし、4月16日、緊急事態宣言が全国へ拡大されると、さすがに寮での集団生活は危険だと考え、感染者の少ない地域の出身者を中心に寮生の約半分を帰省させた。そして、その期間は自主練とした。横山が説明する。 「寮から感染者は絶対出せないので、手洗い、うがいは徹底して、食事も、自分たちの部屋でとらせました。横並びの机で、それぞれ前を向かせて。自主練は施設開放という形で、1日2、3時間程度でしたね」
落ち着いていた生徒たち
4月に入学した新入生たちは大混乱の中でのスタートになったわけだが、それなりに有意義な時間を過ごしてもいたようだ。1年生のひとり、京都出身の赤堀颯(はやと)が話す。 「寮にいる時間が長かったので、同室の先輩たちから、寮生活のこととか、言葉遣いとか、丁寧に教えてもらえてよかったです。親は心配していましたが、福島は(感染者数が)そうでもないので、むしろ京都に住んでいる親のことのほうが心配でしたね」 誰よりも早く気持ちを切り替えたように映る斎藤だが、先行報道の出る前は開催を切望していた。 「アウトドアスポーツで、接触も少ない野球ができなかったら、何もできない。一石を投じる意味でも、開催して欲しかった。批判されてもいい。それで開催できるんだったら、ばんばん批判を浴びましょうよ、って。世論が怖いからって、何もできなくなるようじゃ終わりじゃないですか」 そう息巻いていただけにショックは大きかった。だが、大きくへこんだぶん、その跳ね返りも早かった。 「ミーティングしながら、泣きそうになったシーンもあるんだけど、今、前に進む力を生むのは涙じゃないと思った。泣いてさ、勝っても負けてもいい、思い出に残る大会にしようなんてのは逃げだから。花道を飾るとかさ。そういう雰囲気にはしたくなかった。生徒に必要なのは、そんな同情じゃないでしょ。大事なのは、もう一回、俺たちは、真剣勝負の場に向かって歩みを重ねていくんだぞってことだから」 緊急ミーティングを経て5月20日を迎えた選手たちは、正式に中止の発表を聞いたときも、毅然としていた。約50人の報道陣が集まったが、キャプテンの内山連希(れんき、3年生)も感情的になることなく冷静に対応した。 「もちろん、心のどこかでは、やってくれるんじゃないか……という思いもありましたけど、気持ちの準備はしていたので、泣いたりするようなことはなかったですね」