東京に憧れない変わり者シェフ二人が地方の食文化を大化けさせるキーパーソン⁉
── 行政として支援のようなことは? 安冨 それをレストランレベルでやれるかというのはなかなか難しいところがあります。地方でレストランをやってみたいというシェフがいた時に、あくまでソフトレベルでいろいろ仲介をするなどのサポートはできると思うのですが、それ以上は難しい。 例えば全然アイデアレベルですけれど、誰でも使えるようなラボキッチンみたいな箱があって、2週間とか3週間とか、ショートステイみたいな感じで、佐賀に滞在していただく。そこでいろいろ佐賀の人たちと交流をしながら食材を勉強してみたり、焼き物の産地について学んでみたりとか。で、そこのラボキッチンで料理を作ってみる。そういうものを拠点としてどこかしらに作れると、もう少しいろんな人たちが交流できるポイントが作れるのかなと何となく考えたりはしてるのですが。 いずれにしろ、僕ら行政だけでやるのは限界があります。だから地元の企業とか、民間の方々の力もお借りして、佐賀に若い料理人さんたちが、学びに来られるような、そういう環境とか場所を一緒に作っていきましょうみたいな。ある種、民間の人たちの力がないと継続するというのは難しいなと。そこも含めて僕らの課題かなと思っています。
10皿目は「祝いの山羊 山羊カレー」。山羊肉の煮込みカレー。サフランやミント、カシューナッツと一緒に炊いたバスマティライス。泡盛の酒粕(宮の華酒造)を煮詰めた黒いソースを添えて。器は李荘窯業所。
東京でお店を開いたって何も面白いと思えなかった
地方において老齢化が進み、地域経済が衰弱していくのは日本が抱える大きな問題です。若い人に居場所を与え、職を用意することは直接地域の未来に繋がる課題です。だからこそ、佐賀県ではこの「USEUM SAGA」に連動して、料理人、食材や器の作り手による自発的な研究会の立ち上げ(サガマリアージュラボ)や、県内の料理人や飲食事業者に対する食分野のプロによるセミナー(サガマリアージュセミナー)などの取り組みも行っています。 それでも、若い料理人に地元に目を向けてもらうのは容易なことではないでしょう。そんななか、イベントのシェフを務めた川岸真人シェフと渡真利泰洋シェフはどちらも地元にとどまって活躍しています。ともにまだ39歳(イベント開催時)と若いふたりですが、彼らは何故、東京ではなく地元を選んだのでしょう? その思いを聞いてみました。 まずは沖縄・宮古島出身の渡真利泰洋シェフ。20歳で上京し、世界で修業を積んで8年前に31歳で沖縄に戻りました。