「食べたら吐けと言われた時代と比べ たら」元五輪代表・小松原美里が語る 「アスリートと生理」問題の変化
心の声を聞くことで競技者として満足できた
――体と向き合って心身ともに健康になり、ピルの服用で生理もコントロールできるようになって、選手としてはいいことばかりのように感じますが、そのタイミングで引退されたのは、女性としてのライフステージが影響していますか? それが、私自身も引退するつもりはなかったんです。なんなら、卵子凍結をしたのは、気がかりなことを解決して、競技に集中できる環境を整えるためでもありました。そして実際、卵子凍結ができたことで、ものすごく競技に集中できました。そうしたら、満足できるくらい頑張れちゃって(笑)。 それまでは、「自分に足りないものはなんだろう」「もっとできるはずだ」という思いが気持ちを奮い立たせていたけど、「これもできる」「いいものができた」と満足しちゃったら、もう、引退するしかありませんでした。 ――今は指導者の道を歩まれていますが、これは引退前からしたいと決めていたことだったのでしょうか? それが、まったく(笑)。フィギュアスケートはジャッジメントのスポーツで、私は競技以外で人からジャッジされたり、誰かをジャッジしたりすることが本当に嫌いなので、アイスショーは楽しいけど、競技からは離れたいと思っていました。 でも、私がこうやって生理や卵子凍結について発信していることで、選手生活を終えてみたら、助けてほしいという子どもたちがたくさんいたんですよね。 ――アスリートとして頑張っている10代の子たちが、小松原さんを指導者への道へと繋いだのですね。 カナダでコーチの勉強をしてきて、虐待、セクハラ、パワハラなどあらゆる暴力のない指導法である「セーフスポーツ」の概念を学びました。日本のフィギュアスケート界が本格的に取り入れるまで、まずは、私が行動で示していけたらいいなと思っています。 自分が困ったことで今の選手が困ることがないように、全部は変えられないけど、変わる一部になれたらいいなというのが今の想いです。 そして、自分が充実していないと見ている人が喜ぶような演技はできないので、健康で充実した選手を育てることがこれからの目標です。 小松原美里(こまつばら・みさと) 1992年7月28日、岡山県生まれ。フィギュアスケート アイスダンスでイタリア代表として活動後、2016年からティム・コレト(20年に日本国籍取得、日本名は尊)とペアを組み、2018年から全日本選手権4連覇を果たす。2022年の北京オリンピックにアイスダンス代表として出場し、団体戦で銀メダルを獲得。2024年5度目の全日本優勝、四大陸選手権で自己新記録を更新後、4月にペア解消と現役引退を発表した。
今富夕起