大谷翔平の投手復帰タイミングは「10月までの計画をベースに」ロバーツ監督は連続世界一から逆算して起用
ドジャースのD・ロバーツ監督(52)が4日、都内で「木下グループ」の新CM制作発表会に出席し、大谷翔平投手(30)が来季開幕に投手としては間に合わない見通しを初めて明かした。来年3月18、19日に東京Dで行われるカブスとの開幕シリーズでの二刀流復帰について、「正直難しいと思う」と明言。2000年ヤンキース以来の2年連続ワールドシリーズ(WS)制覇から逆算して、「投手・大谷」を起用していく方針を示した。 ロバーツ監督は慎重に言葉を選んだ。「来年の開幕時に大谷が二刀流でプレーする可能性は?」と問われると、考えを巡らせ、現時点での見通しを口にした。 「もちろん、打者としては(先発の)ラインアップに入ってくることを予定している。でも、3月(の開幕)時点での二刀流というのは、正直、ちょっと難しいかなと思う」 昨年9月に受けた2度目の右肘手術の影響で今季は打者に専念した大谷は、54本塁打、59盗塁で前人未到の「50―50」を達成。チームを4年ぶりの世界一に導き、DH専任では初のMVPに輝いた。来季は投手としても復帰予定だが、今オフにはWSで痛めた左肩を手術。本人は「スタートから投げる、打つのをもちろん目標に」と話していたが、ロバーツ監督には常勝軍団のトップとしての確固たる信念があった。 「投手・大谷」の将来も考え、「25年のイニング数の管理が非常に大事になる」と強調した。もし、また右肘を痛めて3度目の手術となれば投手としては復帰できない可能性が高い。さらに、ドジャースならではの理由もある。ナ・リーグ西地区では、最近12年で11度の地区優勝を果たしており、ポストシーズンは出て当たり前。00年ヤンキース以来のWS連覇を狙う来季、「10月(ポストシーズン=PS)までの計画をしっかり立てた上で逆算していくと、3月のスタートは難しい。どのタイミングで投手として復活をするかは10月までの計画をベースに考えていきたい」と続けた。 1度目の右肘手術は18年10月。投手として復帰した20年は2登板に終わり、21年は130回1/3を投げ、9勝を挙げた。仮に来季開幕から復帰した場合、約30登板で平均5回だとしても150回以上投げる計算になる。PSも含めると、なおさら無理はさせられない。「一番大事なのは翔平自身の健康状態。投手として登板するとなると、打席数も当然少し減ると思うが、バランスを取るには彼自身の経験に頼りながら、毎日正直なコミュニケーションを取りたい」と説明した。 沖縄生まれのロバーツ監督は約20年ぶりの来日に笑みを絶やさず、「日本の野球愛、ドジャース愛を知っているので、来年の3月に帰ってこられることを楽しみにしている」と力を込めた。二刀流起用の最適解を見つけ出し、大谷とともに再び頂点に駆け上がる。(中村 晃大) ◆指揮官に聞く ―約20年ぶりの来日。 「帰ってくることができて光栄。日本の皆様にはドジャース、翔平、由伸を応援していただき、その応援のお陰で世界一になることができた」 ―日本での思い出は。 「小さい頃は沖縄の祖父と毎朝2人で車に乗ってバーを回って、空き瓶を回収するというようなことをしていた。祖父、祖母は80代まで仕事をしていて、ハードワークの大事さを学んだ。沖縄の人と接していくと、家族が全てであり、家族を非常に大事にする。そのような考えを若い頃から見てきたこともあり、私のマネジメントの中でも選手に対して家族のように接することを重要視している」 ―WSを制覇したら大谷からロバーツ監督にポルシェをプレゼントするという話があった。その後は。 「まず翔平が入団する時にケリーが背番号17を譲り、(お礼に)彼がケリーにポルシェを贈ったところから始まった。5月に(指揮官が持つ日本生まれの選手の球団最多)ホームラン記録を翔平が更新した時にはおもちゃのポルシェをプレゼントしてくれた。その時に『本物はどこだ』という話をしたら、『ワールドシリーズで優勝したら考える』という話があって。ただ、それ以降は進展がないので、むしろ翔平に聞いてみたいね(笑)」 ◆生まれ故郷の沖縄「楽しみ」 ロバーツ監督は都内で自身が出演する「木下グループ」の新CM発表会に出席した。個人でのCM出演は初めてだといい、撮影は3日に行われた。壇上では「この後、実は息子と沖縄に行く」と生まれ故郷に帰る予定を明かし「いとこだったり、おば、おじ、友人、私が1972年に沖縄で生まれてから、今までずっとサポートしてくれた家族のみんなに会えることが非常に楽しみ」と目を輝かせた。
報知新聞社