「私、ブスなんですけど?」両親の大反対を押しきって始まった女優・北原佐和子の芸能人生「プレッシャーで20年以上胃潰瘍に悩み」
── ご両親の反対はありませんでしたか? 北原さん:両親は大反対でした。安定志向の両親には、「将来は看護師か教育者か警察官になりなさい」と小さいころから言われてきました。芸能界は想像もしていなかったようで、説得は難しいと感じていました。でも、当時の事務所の担当の方が高校生ながらに会った瞬間からすごく信頼できると感じさせる雰囲気の人で。この人が話せば説得できるのはと思い、まずは母に会ってもらいました。すると母も話を聞いて納得できたようで、母が父を説得してくれたんです。
父はデビューまではしぶしぶ…という感じでしたが、ファーストコンサート終了後に父主催の打ち上げを開催してくれたんです。気づいたら親戚中が集まっていて、自慢の娘として応援してくれていました。
■毎日同じことの繰り返しに違和感 ──「ミス・ヤングジャンプ」に選ばれた年に、アイドルユニット「パンジー」を結成されましたね。 北原さん:そうですね。レコードを発売することになったので歌のレッスンに通い始めたのですが、そこで言われたのは「あなた、歌が下手ね」のひと言。その言葉で私自身、初めて気がつきました(笑)。そこからはデビューに向けてひたすら特訓をし、練習曲だった石川ひとみさんの『まちぶせ』は、上手に歌えるようになったと思います。
1981年にアイドルユニット「パンジー」としてデビューしてからは本当に忙しくて、3か月に1枚はレコードを発売。18歳でソロになってからも、レコードの発売が決まると歌のレッスン、レコーディング、全国へのイベントまわりで、ずっと仕事に追われる日々でした。迎えにきてくれたマネージャーのインターホンで起き、移動中もずっと寝ていて。それでもステージに立って歌うと、楽しそうなお客様の反応が見えるので、それが何にも替えがたい喜びでした。ステージはまさに魂を揺さぶられるような、忘れられない体験です。
── 学業との両立は大変だったのでは? 北原さん:通っていた高校は校則が厳しく、水着撮影がNGでした。『週刊ヤングジャンプ』の電車の中吊り広告に出たりしていたので、あるときまではレオタードを着て撮影をしていたんです。でもある日撮影現場に行ったら、水着での撮影だと突然言われて、断りきれずに撮影をしました。ほかの生徒への影響も考慮して、「パンジー」結成前の2年生のときに定時制高校に移ることに。定時制は4年制なのですが、仕事が忙しくなってしまい、結局最後までは通えませんでした。