「私、ブスなんですけど?」両親の大反対を押しきって始まった女優・北原佐和子の芸能人生「プレッシャーで20年以上胃潰瘍に悩み」
── 学校と仕事を天秤にかけたときに迷いはなかったのでしょうか? 北原さん:芸能界に入る前は、毎日同じ制服を着て、同じ通学路を通り、同じ人に会う繰り返しの生活に違和感を感じていたんです。だから芸能の仕事を始めてからは毎日が新鮮で本当に楽しくて。仕事を失いたくない気持ちのほうが大きかったんです。迷いはなく、これからの芸能の仕事ができる希望に溢れていました。
■演技の仕事のプレッシャーで胃潰瘍に ── ソロデビューした翌年の1983年ごろからは女優のお仕事が中心になっていきました。何か理由はあるのでしょうか?
北原さん:ステージに立つのは楽しかったのですが、やはり歌のお仕事はプレッシャーがすごくて…。歌っているのは自分だけですが、背景には大勢のスタッフがいます。「私が売れなければスタッフのみんなが幸せになれない」という気持ちが潜在的にあって、背負うことがつらくなってしまいました。 いっぽう、並行してやっていたお芝居の仕事は、みんなでひとつの作品を作っていきます。レッスンやディスカッションを重ねて本番を作る流れが楽しく、チームとしてものを作りあげる女優のほうが自分には合っていると感じ、本格的にやっていくことにしました。
── 女優のお仕事はどうでしたか? 北原さん:楽しさもありますが、新人だったため、プレッシャーは相当なもので…。突然、出てきた新人にもかかわらず舞台の主役をやることがあって。「先輩方に迷惑をかけないように上手にやらなくては」と、いつも思っていましたね。スタッフに頼まれて先輩が私をサポートしてくれるのは申し訳ないと悩んでいるなかである日、胃潰瘍になってしまったんです。 胃潰瘍の症状には波があり、ひどいときは牛乳を飲んで胃をカバーするように。舞台袖で本番直前に牛乳を飲み、袖に引っ込んだらまた飲む、という繰り返し。薬がなかなか効かず結局、20年以上悩まされました。
── どのようにして治ったのでしょうか? 北原さん:友人から勧められた生薬が私には合っていたようで、これにより劇的に症状がよくなりました。病院の先生も驚いていましたね。胃潰瘍が癖になっているときは本当に痛みがつらく、そのようなときも仕事をしなくてはいけないのが本当にしんどかった…。痛みが緩和したときには、今後絶対にこのような状態になりたくないと思っていました。 かといって仕事を辞めるわけにはいかないので、悪化させないためにストレスのない環境づくりは、40年間ずっと意識してやってきました。忙しい日が続いたら自分を解放するオフの時間をつくる。たとえばお気に入りのカフェにお茶をしにいったり、大好きなモーニングに出かけたり。メリハリのある生活を心がけて、ストレスに触れない時間をつくったのはよかったと思います。
PROFILE 北原佐和子さん きたはら・さわこ。1964年、埼玉県生まれ。1981年に「ミス・ヤングジャンプ」に選ばれたのをきっかけに芸能界デビュー。「花の82年組」としても活躍した。現在は女優業を続けながら、介護、看護の仕事に携わっている。書籍『ケアマネ女優の実践ノート』(主婦と生活社)を9月に発売。 取材・文/酒井明子 写真提供/北原佐和子
酒井明子